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監督者:白澤光純
株式会社コンクルー 代表取締役CEO
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改修の波、北海の洋上風力、ウクライナ復興、そして利益の過半を運営で稼ぐヴァンシ——建設業の未来形を一世代先に実演する欧州の現在と、2000年を貫く5つのパターン。連載20回の最終回です。
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ヨーロッパ建設業2000年史、そして「建設業の歴史」連載20回の最終回です。2020年代の欧州建設業を規定しているのは、「新しく建てる」から「あるものを作り替える」への重心移動。人口が伸びず、都市が既に出来上がってしまった大陸では、次の仕事は更地ではなく、既にそこに建っているものの上にある——この一点が、米国編・日本編・中国編で見てきたどの大陸とも違う、いまの欧州建設業の顔つきを決めています。改修の波、北海の再発明、戦争の帰還——そして最後に、2000年を貫く5つのパターンと並列年表で、この長い旅を締めくくります。
連載を通じて私が繰り返し確かめてきたのは、建設という産業がどこの国でも驚くほど似た骨格を持っている、ということでした。国家が動員し、商人が調整し、棟梁が束ねる——主役は国ごとに違っても、無数の小さな会社と、よそから来た働き手と、時代ごとに乗り換えられていく道具立てでできている点は共通しています。その総まとめとして、まずは欧州の「いま」を丁寧に開き、それから二千年を貫く型を取り出していきます。ローマのコンクリートに始まったこの大陸の物語が、脱炭素と戦争という現代の課題にどう応じようとしているのか。最終回にふさわしく、少し腰を据えて書きます。

2010年代半ば以降の欧州建設業を貫くのは、四つの大きな力です。既存の建物を作り替える改修の波、脱炭素を軸にした産業の再編、そして2022年に戻ってきた戦争。ここに、どの大陸でも共通する労働の問題が重なります。いずれの力も、単発の景気の波ではなく、この産業の構造そのものを長い目で作り替えていく地殻変動です。そして、そのどれもが、これから同じ道をたどる日本の町場の会社にとって、思いのほか地続きの論点でもあります。
しかも、この四つはばらばらに働いているわけではありません。脱炭素へ向けた改修や洋上風力の拡大は、大量の鋼材とエネルギーを必要とします。ところが戦争がそのエネルギーと資材の値段を跳ね上げ、緑の再工業化の足を引っ張る。一方で、戦争は再軍備と復興という新しい建設需要を生む——改修の波、緑の再工業化、戦争は、互いに押し合いへし合いしながら、いまの欧州建設業をかたちづくっているのです。ひとつの流れだけを見ていては全体を見誤る。この絡み合いを頭に置きながら、順に見ていきましょう。
第一に、ストックの文明への純化です。欧州の建物の大半は既に建っており、これから建設需要の主戦場になるのは「まだ建っていない土地」ではなく、「既に建っている建物」の側だ——この認識が、いまの欧州の政策と産業をはっきりと方向づけています。石造・煉瓦造の街並みを何百年も使い続けてきたこの大陸では、都市の中心部はとうの昔に出来上がっており、更地を探して新築するという成長のかたちが、そもそも成り立ちにくいのです。
そこでEUのグリーンディール(2019年)は、その中心政策のひとつとして「リノベーション・ウェーブ」を掲げました。既存建築の省エネ改修を、環境政策であると同時に建設需要の中核に据えるという発想です。建物からのエネルギー消費とCO2排出を減らすには、新しい省エネビルを建てることよりも、いま人が住んでいる古い建物を断熱し直すことのほうが、はるかに効く。政策と建設需要をひとつの矢で射抜こうという狙いが、ここにあります。
その具体的な中身は、断熱、ヒートポンプの導入、そして歴史的建造物の再生といった、いずれも新築とは異なる技能を要する仕事です。壁を厚くし、窓を替え、暖房を化石燃料から電気へ切り替える——一棟一棟の条件が違い、規格化になじみにくいこの領域は、大量生産の論理では処理しづらく、むしろ現場ごとの判断と職人的な手仕事が効いてきます。新築主導で走り続ける米国・中国とは対照的に、欧州の建設は改修・維持・運営の産業へと構造的にシフトしているのです。造るより、直して使い続ける。派手さはありませんが、これは成熟社会の建設業が向かう一つの典型であり、実は町場の工務店が昔から得意にしてきた領域でもあります。
この流れを加速したのが、事故の記憶でした。2018年にジェノヴァのモランディ橋が崩落したことは、連載でも触れた通り、戦後に一斉に造られた欧州のインフラが更新期に入っているという事実を、多くの犠牲とともに突きつけました。以後、橋や道路の点検・補修への需要が高まり、「新しく架ける」よりも「既にあるものが落ちないよう診て手を入れる」仕事の比重が増していきます。象徴的なのは、そのジェノヴァの新橋が崩落から2年足らずで開通したことです。壊すのも造り直すのも一瞬ではないインフラの世界で、この速さは、欧州建設業がなお底力を持っていることの証でもありました。日本もまた高度成長期のインフラが同時に老いていく国です。点検・診断・補修という地味な仕事に人と技術をどう残すかは、町場の会社にとっても他人事ではありません。
そして、素材の面での欧州発の革新が木造革命です。1990年代にオーストリアで実用化された直交集成板(CLT=板の繊維方向を直交させて貼り合わせ、コンクリートに迫る強度と寸法安定性を得た木質パネル)は、木を「低層の材料」から「高層でも使える構造材」へと押し上げました。燃えやすいと思われてきた木も、太い集成材にすれば表面が炭化して芯を守るため、大断面では想像以上に火に強い。その到達点のひとつが、ノルウェーのミヨースタルネ(2019年、高さ85.4mの世界最高木造ビル)です。木で高い建物を建てるという発想は、伐採から加工までを地域で完結させれば炭素を建物に固定できるという脱炭素の論理とも結びつき、日本の大林組や竹中の都市木造(日本編参照)へと波及しました。ローマがコンクリートを、産業革命が鉄を世界に配ったこの大陸が、いまは「木で高く建てる」技術を再び世界へ送り出しているわけです。森林資源に恵まれた日本にとっても、この木造高層の潮流は、地域の材と職人を活かす好機になり得ます。
この「ストックの文明」への移行は、建設業の担い手のかたちにも影響します。新築の巨大現場が大手ゼネコンの独壇場だとすれば、断熱改修や古い建物の再生、点検・補修といった仕事は、一件ごとの規模が小さく、地域に散らばり、現場ごとに条件が違います。つまり、大量生産の効率が効きにくく、地元の事情を知り、細やかに手を動かせる中小の会社にこそ向いた領域です。欧州がとりわけ得意としてきた歴史的建造物の保存・再生も、その延長線上にあります。何百年も前の石やレンガの建物を、外観を保ったまま中身を現代の暮らしに合わせて作り替える——この「古いものを活かす」技術と美意識は、スクラップ・アンド・ビルドを繰り返してきた国々が、これから改めて学び直すことになる分野かもしれません。既存の建物と長く付き合う産業では、派手さより信頼と実績が物を言います。

第二に、北海の再発明です。20世紀後半、北海は北欧と英国に富をもたらした油田の海でした。1970年代のオイルショックを機に本格開発が進んだ北海油田は、英国とノルウェーの財政を潤し、欧州のエネルギー地図を塗り替えます。その同じ海が、いまや世界最大級の洋上風力の海へと姿を変えています。石油のプラットフォームが建っていた海底に、こんどは風車の基礎が打ち込まれていく——舞台は同じで、演目だけが化石燃料から再生可能エネルギーへ入れ替わったのです。遠浅で風が安定して吹く北海は、洋上風力にとって世界でも屈指の好条件を備えていました。
その好条件を背景に、北海を囲む国々は、この海を欧州全体の「緑の電源地帯」に育てようという大きな構想を掲げています。かつて石油をめぐって争われた海が、こんどは脱炭素の共通基盤として、国境を越えて協調する舞台になろうとしている。これは、エネルギーという最も生々しい国益が、建設という具体的な工事の集積へと翻訳されていく過程でもあります。海に何本の風車を、どの順序で、誰が立てるのか——壮大な政策目標も、突き詰めれば一本一本の基礎を打つ現場の仕事に還元されます。大きな絵を描く力と、それを地道な施工へ落とし込む力の両方が要るという点で、北海の再発明は、いまの欧州建設業の総合力を映す鏡になっています。
この転換を市場として切り開いたのが、デンマークのオーステッドでした。もともと国営の石油・ガス会社だった同社が、事業を洋上風力へと大きく振り替えた歴史は、エネルギーの主役交代を一社の変身として体現しています。化石燃料で稼いでいた会社が、自らその足場を崩して再エネへ乗り換える——痛みを伴うこの転身を先んじて成し遂げたからこそ、オーステッドは洋上風力の草分けとして世界に名を残しました。既存事業に安住せず、次の柱へ資源を移す決断の重さは、規模を問わず経営に通じるものがあります。
そして風車を海に立てるという工事そのものを担うのが、オランダ・ベルギーの浚渫(しゅんせつ)御三家——ボスカリス、ヴァン・オールド、DEMEです。海底をならし、基礎を据え、海底ケーブルを敷設するという海洋土木は、陸の工事とはまったく別の技能を要します。潮流と波の中で、ミリ単位ではなく数十メートル規模の巨大部材を正確に据える技術は、一朝一夕には育ちません。港湾もまた、巨大な風車部品を組み立てて船に積み出すための基地へと作り替えられています。発電所そのものだけでなく、それを支える港や船まで含めて、産業全体が風車の海に合わせて再編されているのです。
洋上風力は、風車を立てて終わりではありません。沖合の発電を陸の需要地へ届ける長大な海底ケーブルの敷設と、それを受け止める陸側の送電網の増強が伴います。海に何を建てるかと同じくらい、海と陸をどうつなぐかが問われる——ここでも、低地の国々が培ってきた海洋工事の総合力が生きています。かつて石油のプラットフォームを支えていた造船・海洋エンジニアリングの担い手が、そのまま風車の基礎工事へと仕事を横滑りさせている点も見逃せません。ひとつの産業が丸ごと衰えるのではなく、蓄えた技能を隣の需要へ移し替えていく——エネルギーの転換は、雇用と技術の乗り換えという、地に足のついた作業の積み重ねでもあるのです。事業の看板を掛け替えるとき、これまで培った腕をどう次の仕事に活かすか。北海の再発明は、その具体例として示唆に富んでいます。
興味深いのは、この海洋土木の担い手が、まったく違う顔でも世界に知られていることです。ドバイの人工島パーム・ジュメイラを造成したのも、このオランダ勢でした。低地の国として、海を締め切り、干拓し、治水するという営みを千年にわたって続けてきたオランダは、「海を建設する」技術を国の芸として磨き上げてきました。年表にある北海大洪水からのデルタ計画、東スヘルデ防潮堤といった国土防衛の巨大事業も、同じ土壌から生まれたものです。その技術が、石油掘削の支援から中東のリゾート造成、そしていま脱炭素の洋上風力へと、顧客と用途を乗り換えながら世界を巡っている。自社の一番の強みが何なのかを見極め、時代が変わっても中身を保ったまま売り先だけを替えていく——これは規模の大小を問わず、建設会社の生き残り方の一つの型だと感じます。
第三に、戦争の帰還です。2022年のロシアによるウクライナ全面侵攻は、欧州の建設市場をまず負の側面から直撃しました。ロシア産ガスへの依存を断たれたことでエネルギー価格が高騰し、鋼材・セメント・ガラスといったエネルギーを大量に使う資材の値段が跳ね上がったのです。工事費の見積もりが立たなくなり、多くの新築計画が止まったり延期されたりしました。資材価格の乱高下が現場をどれほど苦しめるかは、近年の日本の建設業も痛いほど知るところで、これは欧州だけの話ではありません。しかしこの戦争は、同時に二つの新しい需要も生み出しています。
ひとつは再軍備です。冷戦の終結以来、長く「もう欧州で大規模戦争は起きない」という前提の上に置かれ、縮小さえされてきた軍事インフラが、にわかに更新と増強を迫られました。基地、弾薬工場、シェルター——独ラインメタルをはじめとする防衛関連企業の工場建設ラッシュは、その象徴です。武器そのものだけでなく、それを造る工場や貯蔵施設、防護施設という「建設の仕事」が、平時には想像しにくい規模で立ち上がりつつあります。安全保障という言葉が、抽象的な政治の話ではなく、鉄筋とコンクリートの需要として現れているのです。
ここで立ち止まって考えると、この連載を通して欧州建設業の節目には、いつも戦争がありました。第一次大戦後の北フランスの復興が近代建設企業を鍛え、第二次大戦の廃墟からの再建が現代の巨大企業を育て、その同じ大陸が、いままた戦争の影のもとで基地と工場を建てている。造る産業と壊す行為は、本来なら最も遠いはずなのに、歴史のなかでは幾度も隣り合ってきました。建設業が「復興」という名の需要と切り離せないという事実は、この産業のもつ光と影の両面を、静かに物語っています。
もうひとつが、戦後復興です。ウクライナの復興に必要な資金は、世界銀行などの推計で5,000億ドル規模に達するとされ、実現すれば第二次大戦後のマーシャル・プラン以来の「欧州最大の復興事業」になります。ここに、この連載が最初に見てきた原点が戻ってきます。近代の欧州建設業は、二度の大戦の瓦礫の中から成長した産業でした。第一次大戦後の北フランスの復興、そして第二次大戦後、瓦礫を手で片づけた「瓦礫の女たち」と、大陸まるごとを建て直したマーシャル・プランの季節——欧州建設業は、その歴史の出発点だった「戦後復興」という仕事に、80年ぶりに再会しようとしているのです。破壊のあとに立ち上がる需要というのは、建設業にとって最も重く、最も喜べない種類の需要です。それでも、壊れたものを人の暮らせる形へ戻すのは、この産業にしかできない仕事でもあります。
5,000億ドルという数字の大きさは、この復興が一国だけで担える規模を超えていることを示しています。住宅、学校、病院、道路、橋、発電所、上下水道——街の暮らしを成り立たせる基盤を、まるごと建て直す必要がある。そこには欧州各国の建設企業だけでなく、資金を出す国際機関や民間投資家、そして復興を担う現地の担い手の育成まで含めた、巨大な仕組みづくりが要ります。マーシャル・プランがそうであったように、こうした大規模復興は、単に壊れたものを元へ戻すだけでなく、その後の産業構造や国際関係を長く方向づける出来事にもなります。欧州建設業にとって、これは需要であると同時に、自らの技術と組織の底力が問われる、歴史的な試験でもあるのです。
そして戦争は、企業のガバナンスにまで手を伸ばしました。オーストリアのシュトラバッグが、ロシアのオリガルヒ(デリパスカ系)が握っていた株式持分の処理に苦しんだように、地政学のリスクは施工現場だけでなく、株主構成や資本関係という企業統治の奥にまで入り込んでいます。誰が自社の株を持ち、誰と取引しているのか——平時には気に留めない関係が、有事には制裁や評判の問題として経営そのものを揺らす。規模は違えど、取引先や資金の出どころ、株主の顔ぶれを平時から把握しておくことの大切さは、地域に根ざす中小の会社にもそのまま通じる教訓です。
第四に、労働です。結論から言えば、欧州もまた「移民が建てる大陸」でした。華々しい大企業やメガプロジェクトの陰で、実際に足場を組み、コンクリートを打ち、レンガを積んできたのは、しばしばよそから来た働き手たちです。この事実は、連載で見た米国・日本・中国の姿とぴたりと重なります。
近代の出発点まで遡れば、19世紀英国の運河と鉄道を掘ったのは、アイルランドなどから流れてきた「ナヴィー」と呼ばれる荒くれの土工たちでした。運河(navigation)を掘る者、という言葉に由来する彼らは、劣悪な条件のもとで英国中に水路と線路を張り巡らせた、産業革命の縁の下の力持ちです。時代が下り、戦後西ドイツの「経済の奇跡」は、イタリアやトルコからやってきたガストアルバイター(=ゲスト・ワーカー、外国人労働者)の腕に支えられました。彼らは一時的な出稼ぎとして招かれながら、そのまま定住し、戦後ドイツの都市を文字通り造った人々です。
さらに2004年のEU東方拡大の後は、ポーランドをはじめとする東欧の職人が大量に西へ移動し、英国やドイツの建設現場を支えました。人が国境を越えて技能ごと移動する——単一市場の統合は、建設労働の面ではこうして現れたのです。年表にある東欧インフラブームと「ポーランド人職人の西進」は、まさにこの動きを指しています。労働力が自由に動くという理念が、現場のレベルでは職人の大移動として具体化したわけです。
だからこそ、その流れを断ち切る出来事は建設業を直撃しました。2016年に英国が国民投票で離脱を選んだブレグジットは、東欧からの職人の流入を細らせ、英国建設業に人手不足という形で跳ね返りました。ドイツでも技能工の不足は深刻で、新築が伸び悩む一因になっています。人を確保できなければ、需要があっても建てられない——これは、どの国の建設業も逃れられない制約です。こうして並べてみると、構図はどこも同じです。ナヴィー、ガストアルバイター、ポーランド人職人、そしていまは戦火を逃れてきたウクライナ避難民まで。米国の移民、日本の出稼ぎと外国人材、中国の農民工と、まったく同じ絵が、ここ欧州にもあります。建設という産業は、いつの時代もどこかから来た人の手で建てられてきた。担い手をどう確保し、どう育て、どう処遇するか——この問いの前では、大陸の違いも会社の大きさの違いも、実はあまり関係がないのだと思わされます。
労働の問題は、外から人を呼ぶかどうかだけにとどまりません。その奥には、欧州社会全体の高齢化があります。現場を支えてきた世代が引退していく一方で、若い担い手が思うように入ってこない。長く働いてきた職人の技をどう次へ受け渡すか、そして限られた人手でどう生産性を上げるかという課題は、移民労働への依存と表裏一体です。人が足りない、ゆえに外から呼ぶ、しかしそれも細れば行き詰まる——この循環を根本から解くには、担い手を増やす努力と、少ない人数でも回る仕組みづくりの両方が要ります。高齢化が世界で最も進んだ国のひとつである日本にとって、これはとりわけ切実な、そして先んじて答えを出すべき問いでもあります。
ここで、現代欧州を代表する巨大企業が、いまどこにいるのかを整理しておきます。共通するのは、どこも「ただ建てて引き渡す会社」から遠く離れてしまっている、ということです。工事で稼ぐのではなく、造ったものを保有し、運営し、あるいは他国の名門を傘下に収めて世界市場から利益を吸い上げる——請負業の枠を大きくはみ出したところに、欧州の巨人たちは立っています。
その最も純化した姿がフランスのヴァンシです。売上10兆円規模のこの会社は、いまや利益の過半を、施工ではなく高速道路と空港(世界70超)の運営で稼いでいます。建てた道路や空港を自ら保有し、何十年もかけて通行料・利用料を受け取り続ける——請負業から「インフラ資本」へ。工事は利益の一瞬にすぎず、本当の稼ぎは運営という長い時間から生まれる。ヴァンシは、建設会社が行き着く一つの最終進化形を示しています。この「造るから運営する」への転換は、後段の「五つのパターン」の第二点として改めて掘り下げます。
ここで言う「運営」とは、具体的には、世界70を超える空港や、各国の高速道路網を実際に持ち、日々の通行料や利用料を受け取り続けることを指します。工事は、当たれば大きいが波のある収入です。これに対し、道路や空港の運営料は、景気の波を受けつつも、毎日少しずつ確実に積み上がっていく安定した収益です。この二つを組み合わせることで、ヴァンシは施工の浮き沈みを運営の安定で受け止める、いわば二本足の経営を実現しました。景気に左右されにくい収益の柱をどう持つかは、規模を問わず、建設業に長く関わる者にとって共通の関心事です。
スペイン資本の広がりも見逃せません。ACS=ホッホティーフ帝国は、そもそも2011年にスペインのACSがドイツの名門ホッホティーフを買収して生まれた、国境をまたぐ複合体です。その傘下には米ターナーと豪CIMICがあり、いま北米・豪州で沸くデータセンター建設の特需を刈り取っています。連載の米国編で触れた「2025年に米ENRランキングでターナーが首位に立った」という出来事は、見方を変えれば、スペイン資本が米国建設業の頂点に届いたという勝利でもありました。国境を越えて他国の名門を傘下に収め、その国の市場で一番になる——欧州勢の国際性が、資本の連鎖として数字に表れた場面です。
ほかの巨人も、それぞれの形で「建てた後」や「国の外」へと領域を広げています。ブイグは設備エンジニアリング大手エカンズを買収し、建物を建てたあとの設備運用の世界へ手を伸ばしました。建てて終わりではなく、その後の空調や電気の面倒までみる領域へ、事業の裾野を広げたのです。スウェーデンのスカンスカは、母国以上に米国で稼ぐ会社になっています。フェロビアルに至っては、2023年に本社をオランダへ移し、米ナスダックに上場するという「欧州企業の米国化」まで演じました。かつて英BAA(ヒースロー空港)を買収したこの会社が、いまや軸足そのものを大西洋の向こうへ移そうとしている。生まれた国に縛られず、資本市場と成長市場のあるところへ身を移していく軽やかさは、欧州勢に共通する体質です。
南欧では、長く分裂と汚職に苦しんだイタリア建設業が、ウェブビルドの下で再結集しました。そして、シチリアと本土を結ぶメッシーナ海峡大橋——実現すれば世界最長の吊橋——という半世紀来の夢に、再び挑もうとしています。何度も浮かんでは消えてきたこの計画に、統合されたイタリア建設業が改めて向き合う姿は、南欧の再起の象徴でもあります。そして欧州の周縁ではトルコの建設業が着実に育ち、国際コントラクター上位250社に40社超を送り込む、中国に次ぐ「国際請負大国」となりました。規模で押す中国、巨大な国内市場を持つ米国に対し、欧州勢の強みは一貫して「国際性と運営力」にあります。連載で見た、19世紀に世界の鉄道網を渡り歩いた請負業者ブラッシー以来170年——他国へ出て行き、造ったものを持ち続けて稼ぐという欧州の伝統は、形を変えながらいまも生きているのです。
もう一社、忘れてはならないのがエファージュです。世界一高い橋として知られるミヨー高架橋を手がけたこの会社もまた、フランスの高速道路網の運営を担うコンセッション企業であり、ヴァンシと並んで「造って、保有して、長く運営する」モデルの担い手です。橋やトンネルといった記念碑的な構造物を造る技術力と、それを何十年も運営して稼ぐ金融的な体力とを、一社のなかに併せ持つ——ここに、現代欧州の巨大企業のかたちが凝縮されています。こうして企業の現在地を並べてみると、業態はもはやばらばらに見えます。運営で稼ぐインフラ資本、他国の名門を束ねる複合体、本社ごと国を移す会社、周縁から台頭する新興国勢。しかし通底しているのは、生まれた国の市場だけに頼らず、世界のどこかで、造ったものと長く付き合いながら稼ぐという姿勢です。国内市場が縮んでいく日本の建設業が、いずれ向き合うことになる問いを、欧州勢は先回りして、それぞれのやり方で答えているのだと言えます。

ここから、2000年を振り返って、欧州建設業を貫く五つのパターンを取り出します。この五つは、そのまま米国編・日本編・中国編を読み解く鍵にもなります。連載の締めくくりとして、少していねいに語らせてください。二千年という長い時間を一枚の絵に畳み込むと、欧州建設業の輪郭は、この五本の線でおおむね描けると私は考えています。道具を発明し、運営へと進化させ、国家との関係を実験し、歴史を記憶し、それでも移民と中小の手で現場を回してきた——順に開いていきます。
第一に、原型の大陸であること。コンクリート(ローマ)、セメント(アスプディン)、鉄筋コンクリート(モニエ、エンヌビック)、シールド工法(ブルネル)、プレハブ(水晶宮)、請負業者という職業(ブラッシー)、国家エンジニア制度(ポン・ゼ・ショセ)、そしてPFIとコンセッション。米日中の建設業が使っている道具立てのほとんどは、欧州で発明されました。少し開いてみましょう。ローマ人は火山灰を混ぜたコンクリートとアーチで巨大な内部空間を手にし、パンテオンの無筋ドームを2000年近く前に架けました。その製法は西ローマ崩壊とともに一度失われ、約1300年の空白を経て、19世紀に鉄と結びついて鉄筋コンクリートとして甦ります。英国のアスプディンが1824年にポルトランドセメントを特許化し、フランスではモニエやエンヌビックが鉄筋コンクリート構法を世界へライセンス展開しました。
都市の地下を掘るシールド工法は、テムズ川の下を掘り抜いたブルネル父子の発明です。工場で部材を作り現場でボルト締めするプレハブの原点は、1851年ロンドン万博でわずか数か月で組み上げられた水晶宮でした。鉄道の時代に「請負業者」という近代的な職業を確立したのはブラッシーであり、彼らは一時、世界の鉄道の20分の1を建設したとされます。国家が土木技術者を育てて公共事業を主導する仕組みは、1747年創設の世界最古の土木学校ポン・ゼ・ショセに始まる「国家エンジニア文明」に源があります。そして、民間資金でインフラを整備するPFIと、造って長期運営するコンセッション——これも欧州の発明でした。米国編・日本編・中国編は、ある意味ですべて「欧州の発明の各大陸への移植と変異」の物語だったのです。私たちが当たり前に使っている言葉や仕組みの多くに、この大陸の刻印が入っています。
この「原型」は、目に見える構造物や工法だけにとどまりません。土木技術者を国家が体系立てて養成するという発想も、建築家という設計する専門職も、そして施工を請け負って対価を得る「請負」という商いのかたちも、いずれも欧州が近代に整えた枠組みでした。日本の建設業もまた、明治以降にこうした欧州由来の制度や技術を取り入れながら近代化した産業です。二千年をかけて欧州が発明してきた道具立てが、海を越えて各地でそれぞれの土壌に根づき、変異していった——そう考えると、いま私たちが立っている足場そのものが、この長い歴史の延長線上にあることに気づかされます。原型を知ることは、いま手にしている道具の由来を知ることでもあるのです。
第二に、「造る」から「運営する」への進化を先導したこと。フランスの高速道路コンセッションに始まり、ヴァンシとフェロビアルは「建てて、保有して、数十年運営して稼ぐ」モデルを完成させました。コンセッションとは、企業がインフラを自ら建設し、その後長期にわたって運営して利用料を受け取る仕組みです。工事代金という一度きりの収入ではなく、運営という長い時間から安定した収益を得る——建設業の利益の重心が、施工の一瞬から運営の数十年へ移るのです。人口が減り、新築が減っていく成熟社会で、建設業がどう食べていくか。その生存戦略を、欧州は他の大陸より一世代先に、実物のビジネスとして実演してみせました。日本のゼネコンや商社がいまインフラ運営へ向かおうとしている動き、たとえば前田建設がインフロニアへと転じて「インフラ運営業」を掲げた動きも、この欧州モデルの追走にほかなりません。造って終わりにせず、造ったものと長く付き合って稼ぐという発想は、規模の小さな会社にとっても、点検・保守・改修という形で応用のきく考え方です。一度きりの工事で縁が切れるのではなく、建てた建物のその後に関わり続ける関係を作れるか——ここに、次の時代の中小建設業のヒントがある気がします。
もっとも、この「運営する建設業」への進化は、良いことばかりではありませんでした。長期の運営で稼ぐモデルは、それだけ長期の資金と債務を抱えることを意味します。年表にある英仏海峡トンネルが、技術的には成功しながら巨額の債務に苦しんだように、あるいは英国のPFIがカリリオンの破綻という影を残したように、「造って持ち続ける」モデルには、相応のリスクとつまずきの記録も伴います。だからこそ欧州の巨人たちは、成功例と失敗例の両方を教訓として積み重ねてきました。日本の建設業がこの道をたどるときにも、輝かしい部分だけでなく、欧州が払った授業料までをあわせて学ぶことに、大きな意味があるはずです。先行者の失敗を見られるというのは、後から続く者に許された数少ない特権なのですから。
第三に、国家との関係の多様性が実験室であること。フランスの国家エンジニア文明、英国の市場化と制度輸出(PFIの栄光と、大手カリリオンの破綻)、ドイツの技術と歴史清算(トート機関の強制労働の記憶と、2000年に設けられた補償基金)、イタリアの汚職と司法による清算(タンジェントポリ疑獄)、スイスの直接民主制によるメガプロジェクト。同じ「建設と国家」という関係が、これほど多様な形で一つの大陸に並存している例は、ほかにありません。国家が優秀な技術者を育てて公共事業を主導する国もあれば、民間資金と市場に委ねて制度ごと他国へ輸出する国もある。そのどちらもが、成功だけでなく手ひどい失敗の記録まで残しています。PFIを世界へ広めた英国が、同時に大手カリリオンの破綻という制度の限界も経験したように、光と影がセットで記録されているのです。イタリアが1990年代のタンジェントポリ(大規模な汚職摘発)で建設と政治の癒着を司法の手で清算し、スイスがゴッタルドベーストンネルのような巨大事業を国民投票にかけて進める——欧州は、建設と国家のあらゆる関係パターンが試され、その結果が保存された、いわば建設制度の比較実験場です。どの制度にも万能はなく、それぞれが得手と不得手を抱えている。この事実は、公共事業のあり方を考えるうえで、いまも学びの宝庫です。
とりわけ興味深いのが、スイスの流儀です。全長57kmに及ぶゴッタルドベーストンネルのような世紀の巨大事業を、この国は国民投票にかけて、市民の同意を得たうえで進めました。巨額の税を投じる大工事を、政治家や技術者の判断だけで決めず、国民一人ひとりの一票に委ねる——時間はかかっても、いったん決まれば社会全体が事業を支える。一方で、国家が優れた技術者を養成して主導するフランス型、民間の資金と創意に委ねる英国型と並べてみると、「誰が決め、誰が金を出し、誰が造るのか」という問いに、これほど多様な答えが並存していることに驚かされます。正解が一つでないからこそ、それぞれの成功と失敗を突き合わせて考える意味がある。建設と社会の関係を設計するうえで、欧州という実験場が残した記録は、これからも参照され続けるでしょう。
第四に、記憶の産業であること。ケルン大聖堂の632年(1248年に着工し、完成は1880年)、フランスの職人組合コンパニョナージュに受け継がれた遍歴職人の伝統、そして戦時強制労働への補償基金。欧州建設業は、栄光だけでなく罪も含めて、自らの歴史を制度として保存し、清算してきました。数百年かけて一つの大聖堂を完成させるという営みも、若い職人が各地の親方のもとを渡り歩いて腕を磨くコンパニョナージュの制度も、ナチス期に大手企業が加担した強制労働という過去に向き合い、金銭で償おうとする営みも、どれも「時間を引き受ける」という点で通じています。造ったものを何百年も保ち、犯した過ちを忘れずに記憶する——ストック文明とは、建物というストックだけでなく、歴史というストックの管理でもあるのだと思います。自社が過去に手がけた仕事を記録として残し、良いことも悪いことも次の世代に引き継ぐ姿勢は、地域に根を張り、長く続く会社ほど効いてきます。歴史を持つことは、それ自体が一つの資産なのです。
とりわけ、過ちを記憶し償うという営みは、欧州建設業の重い一面を照らします。ナチス期に大手企業がトート機関のもとで強制労働に加担したという事実に対し、戦後半世紀を経た2000年に補償基金が設けられたことは、都合の悪い過去に蓋をせず、制度として向き合った例でした。造る産業は、いつでも権力の大きな事業に組み込まれる立場にあります。だからこそ、自分たちが何に手を貸したのかを直視し、記録に残す姿勢が問われる。栄光の記念碑だけでなく、負の記憶までを引き受けてこそ、産業は社会からの信頼を長く保てるのだと思います。派手な受賞歴の裏で、地味な誠実さこそが会社の土台を支える——これは規模を問わず通じる話です。
第五に、それでもなお、移民が建て、断片化は残ること。19世紀のナヴィーから東欧のポーランド人職人まで、欧州の現場を支えたのは常によそから来た人々でした。そして、売上10兆円のヴァンシや米国の頂点に届いたACSといった巨人の足元には、米日中とまったく同じように、無数の中小工務店と職人の世界が広がっています。産業が巨大企業に集約されたように見えて、実際の現場の大半は、いまも小さな会社と個々の職人が担っている。この断片化は、欧州でも解消されていません。そして高齢化と人手不足、なかなか上がらない生産性、他産業に比べて遅れがちなデジタル化——欧州もまた、この産業の万国共通の宿題の前に立っています。二千年かけて建設のほぼすべてを発明したこの大陸の「次の発明」が、道具や工法ではなく「建設業の持続可能な形」そのものになるのかどうか。5,000億ドル規模とされるウクライナ復興という巨大な試験が、遠からずその答えを迫ることになるでしょう。
この「万国共通の宿題」は、裏を返せば、次に大きな変化が起きるとしたら、まさにこの領域だということでもあります。少ない人手で、より安全に、より無駄なく建てる——そのための工法や段取り、そして情報のやり取りをどう変えていくか。欧州が発明してきた道具立てが世界に広がったように、この宿題を解く新しいやり方が生まれれば、それもまた各大陸へと伝わっていくはずです。二千年のあいだ、建設は幾度も道具を乗り換えてきました。石から鉄へ、鉄からコンクリートへ、そしていま、現場の情報の扱い方そのものが次の乗り換えの対象になろうとしています。どの大陸が、あるいはどの会社が、その次の道具をいちばん賢く使いこなすのか——ここは、規模の大小に関係なく、誰にでも門戸が開かれた勝負どころだと私は考えています。
——米国150年、日本1400年、中国2200年、そして欧州2000年。四つの大陸の建設史を読み終えて、私が持ち帰るものはひとつです。この産業はどこの国でも、無数の小さな会社と、よそから来た働き手と、道具の乗り換えでできている。ローマのコンクリートから中世の石工ギルド、産業革命の鉄、そしてコンセッションと木造高層まで、道具と主役は幾度も入れ替わってきました。けれども、現場に人がいて、その人の手で何かが立ち上がるという一点だけは、二千年変わっていません。担い手を確保し、技を継ぎ、道具を乗り換えながら、それでも人の手で街を保っていく——その営みの続きを、次の道具の時代に書くのは、いま現場にいる私たちです。
この連載を書き通して、私がいちばん伝えたかったのは、歴史は遠い他人事ではない、ということでした。ローマの技術者も、中世の石工も、19世紀の請負業者も、そして戦後の復興を担った人々も、みな目の前の現場で、限られた人手と道具でどう建てるかに頭を悩ませていた。その悩みは、いま日本の町場で図面と見積もりに向き合う私たちの悩みと、地続きです。二千年前の職人と私たちが同じ問いを分かち合っているのだと思えば、この産業に流れる時間の長さが、少しだけ心強く感じられます。次の百年に何を残せるか——その答えを日々の一現場ずつ積み上げていくのが、私たちの仕事なのだろうと思います。長い連載にお付き合いいただき、ありがとうございました。
年 | ヨーロッパ国家・社会の歴史 | 建設業の歴史 |
|---|---|---|
前312 | ローマ共和政の拡大 | アッピア街道着工、軍団=建設部隊の帝国へ |
128頃 | ローマ帝国最盛期 | パンテオン完成(無筋コンクリートドームとして今も世界最大) |
476以後 | 西ローマ帝国崩壊 | コンクリート製法が失われ、約1300年の空白へ |
1144 | 中世盛期、都市の成長 | サン・ドニでゴシック様式誕生、石工ギルドとロッジの時代 |
1248 | 神聖ローマ帝国期 | ケルン大聖堂着工(完成は632年後の1880年) |
1420–36 | ルネサンスの開花 | ブルネレスキのフィレンツェ大聖堂ドーム、史上初の特許(1421) |
1612 | オランダ黄金時代 | ベームスター干拓、水管理組合=世界最古級の民主的インフラ組織 |
1666–81 | ルイ14世の治世 | ミディ運河(近世最大の請負土木) |
1747 | 啓蒙の世紀 | ポン・ゼ・ショセ学校創設=世界最古の土木学校、国家エンジニア文明の確立 |
1761 | 産業革命前夜 | ブリッジウォーター運河、運河狂時代と「ナヴィー」の誕生 |
1824 | ウィーン体制下の英国 | アスプディンがポルトランドセメント特許 |
1825–43 | 改革の時代 | ブルネル父のテムズトンネル=世界初のシールド工法 |
1840s | 鉄道狂時代 | ブラッシーら「請負業者」の誕生、世界の鉄道の20分の1を建設 |
1851 | ロンドン万博 | 水晶宮を数か月で建設、プレハブの原点 |
1853–70 | ナポレオン3世の第二帝政 | オスマンのパリ大改造、1863年ロンドンに世界初の地下鉄 |
1858–75 | 大英帝国の絶頂 | 大悪臭からロンドン下水道網へ、都市インフラの発明 |
1869 | 帝国主義の時代 | スエズ運河開通(レセップス) |
1889 | 第三共和政のフランス | エッフェル塔(2年2か月)、同年パナマ運河会社破産の疑獄 |
1892 | ベル・エポック | エンヌビックが鉄筋コンクリート構法を世界にライセンス展開 |
1874–1909 | 各国の産業化 | ホッホティーフ、スカンスカ、SGE、バルフォア・ビーティら創業 |
1914–18 | 第一次世界大戦 | 北フランス壊滅と復興、SGEらの成長 |
1924 | ファシズムの台頭 | ムッソリーニのアウトストラーダ=世界初の本格高速道路 |
1931–35 | スターリンの五カ年計画 | 白海運河(囚人労働で数万人犠牲とも)、モスクワ地下鉄 |
1933–45 | ナチス体制と第二次大戦 | アウトバーン神話、トート機関の強制労働、大手企業の加担 |
1945 | 欧州の廃墟 | 瓦礫の女たち、マーシャル・プランと大陸まるごとの復興 |
1946–60s | 東西冷戦と福祉国家 | 英ニュータウン、仏グラン・アンサンブル、東側のフルシチョフカ量産 |
1952 | 欧州石炭鉄鋼共同体 | ブイグ創業、フェロビアル創業、ユニテ・ダビタシオン |
1956–64 | ローマ条約とEEC | 太陽道路755km、仏で高速道路コンセッション方式始まる |
1953–86 | オランダの国土防衛 | 北海大洪水からデルタ計画、東スヘルデ防潮堤へ |
1959–63 | 高度成長の影 | マルパッセ決壊、バイオント事故=技術の傲慢への警告 |
1968 | 五月革命の年 | ローナン・ポイント崩壊、プレハブ高層神話の終わり |
1973 | オイルショック | 欧州勢の中東進出と国内停滞 |
1981 | ミッテラン政権 | TGV開業、グラン・プロジェの時代へ |
1986 | スペインEC加盟 | EU構造基金で南欧インフラブームの点火 |
1987–94 | 冷戦終結と欧州統合 | 英仏海峡トンネル(10社JV、費用倍増の世紀の事業) |
1992 | マーストリヒト条約 | 英PFI発明、伊タンジェントポリ疑獄、西AVE開業 |
1999–2002 | ユーロ導入 | ホルツマン倒産(日米欧同時の「名門の死」の季節) |
2000 | EUの拡大前夜 | ヴァンシ誕生、エーレスンド橋開通 |
2004 | EU東方拡大 | ミヨー橋(エファージュ)、東欧インフラブームとポーランド人職人の西進 |
2006 | グローバル資本の絶頂 | フェロビアルが英BAA(ヒースロー)買収 |
2008–13 | 金融・ユーロ危機 | スペイン住宅バブル崩壊(失業26%)、南欧建設の壊滅と海外進出 |
2011 | 緊縮の欧州 | ACSがホッホティーフを買収(米ターナーも傘下に) |
2012–16 | 危機からの回復 | ロンドン五輪の成功、ゴッタルドベーストンネル貫通(57km) |
2017–18 | ポピュリズムとブレグジット | グレンフェル火災、カリリオン破綻、モランディ橋崩落 |
2019–20 | 欧州グリーンディール | リノベーション・ウェーブ、ミヨースタルネ(世界最高木造)、BERようやく開港、ウェブビルド発足 |
2022 | ロシアのウクライナ侵攻 | 資材危機、再軍備需要、ジェノヴァ新橋は既に開通(崩落から2年足らず) |
2023–25 | 戦時下の欧州 | フェロビアル本社を蘭へ移転、HS2縮小、フラマンヴィルEPRようやく稼働、ウクライナ復興(5,000億ドル級)への備え |
ヨーロッパ編で、国別の歴史シリーズはひと区切りです。アメリカの150年・日本の1400年・中国の2200年、そして総集編にあたる人類40万年の建設史——どこから読み返しても、それぞれの国の「変わるもの・変わらないもの」が映し合うように書いたつもりです。
株式会社コンクルー 代表取締役 白澤光純
※本連載は通史的な読み物です。古代・中世の事績や「世界初」「世界最大」といった記録、費用・犠牲者数等には資料により幅があります。個別の事実を意思決定や対外資料に用いる際は一次資料での確認をおすすめします。