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監督者:白澤光純
株式会社コンクルー 代表取締役CEO
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サッチャーが発明したPFI、10社JVで掘った英仏海峡トンネル、ヴァンシの誕生、レアル・マドリード会長の建設帝国、そしてBERやモランディ橋の教訓——現代欧州の企業地図が固まる40年を描く欧州編第4回です。
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ヨーロッパ建設業2000年史の第4回です。オイルショック後の欧州建設業を作り替えたのは、政治でした。サッチャーの民営化、ミッテランの記念碑、そしてレアル・マドリード会長の建設帝国。現代欧州の企業地図が固まり、メガプロジェクトの栄光と幻滅が交錯する40年です。前回まで見てきた石工ギルドやマスター・ビルダーの世界からは遠く離れ、この回の主役は「制度」と「資本」——誰が資金を出し、誰が運営し、誰が儲けるか、というお金の設計図が、コンクリートや鉄と同じくらい建設の姿を決めていきます。同じ橋を架けるにも、税金で建てて政府が持つのか、民間が資金を出して通行料で回収するのか。その選び方一つで、誰がリスクを負い、誰が長い収益を得るかが変わる。この四半世紀の欧州で起きたのは、まさにその「稼ぎ方の再設計」でした。以下、英仏という対照的な二つの国から話を始めます。

1970年代のオイルショックは、戦後西欧が謳歌した「大きな政府が公共投資でインフラを建て続ける」時代の終わりを告げました。財政は苦しくなり、公共部門の非効率が批判の的になります。その空気の中で登場したのが、英国のマーガレット・サッチャーでした。彼女の革命は、まず公共部門の直営工事組織——自治体や省庁が自前で抱えていた建設・維持の部隊——を解体することから始まります。次に強制競争入札(コンペティティブ・テンダリング)を導入し、これまで役所が身内でこなしていた仕事を、片端から民間の入札にかけました。工事だけでなく、清掃や給食といった役所の日常業務までが市場にさらされたのです。
そして1992年、サッチャーの後を継いだメージャー政権が、決定的な発明を制度化します。PFI(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)——病院や学校や道路を民間が資金調達して建設・運営し、政府が長期の利用料を払う仕組みです。従来なら政府が国債を発行して自ら建てた公共施設を、民間企業が自分の資金で建て、二十年三十年という長い契約期間にわたって維持管理し、その対価を政府が分割で払っていく。政府のバランスシートには一度に巨額の借金が計上されず、しかも施設は建つ。この「今すぐ建てて、支払いは将来に薄く延ばす」という魔法のような会計の仕掛けが、当時の政治家にとって抗いがたい魅力を持っていました。PFIには、光と影の両方がありました。うまくいけば、民間の効率とノウハウで良質な施設が早く手に入り、政府はリスクの一部を民間に移せる。しかし裏を返せば、政府は長い契約期間にわたって高い利用料を払い続ける約束を背負い込みます。契約の設計が甘ければ、割高な支払いだけが将来世代にのしかかる。目先の会計を軽くするための仕組みが、長い目で見れば重い負担に転じかねない——この諸刃の性格が、後々まで英国財政に影を落とすことになります。この英国発の官民連携モデルは、日本のPFI法(1999年)から世界各国のPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)まで、公共インフラ調達の世界標準として輸出されました。英国は建設の実業では衰えつつも、「制度の輸出国」であり続けたのです(そのPFIが四半世紀後にどんな結末を迎えるかは、後段で見ます)。町場の会社にとっても、発注者が「工事を買う」のか「使用権を買う」のかで、求められる財務体力も契約リスクもまるで変わります。制度の設計は、下請けの末端まで静かに効いてくるものです。
ドーバー海峡の向こう、フランスのフランソワ・ミッテランは、まったく逆の道を歩みました。彼は市場化ではなく、国家の威信を建設に注いだのです。ルーヴル美術館の中庭に据えられたガラスのピラミッド(設計は中国系米国人建築家I・M・ペイ)、パリ西郊のラ・デファンスに立つ新凱旋門(グランダルシュ、施工ブイグ)、セーヌ河畔の国立図書館——これらは「グラン・プロジェ(大計画)」と呼ばれる大統領の記念碑群です。歴代のフランス君主が壮麗な建築で自らの治世を刻んだのと同じ流儀で、ミッテランもまた石とガラスに自分の時代を刻もうとしました。そして1981年、パリ〜リヨン間にTGV(テージェーヴェー、高速列車)が開業し、日本の新幹線に17年遅れて、欧州は高速鉄道時代に入りました。日本が世界に先駆けて1964年に新幹線を走らせてから、欧州が本格的な高速鉄道を手にするまで、実に17年の隔たりがあったのです。しかし一度走り出すと、欧州は独自の道を歩みます。日本の新幹線が専用の高速線を新たに敷くのに対し、TGVは高速専用線と在来線を直通で乗り入れさせ、都心の既存の駅にそのまま到達できる柔軟さを武器にしました。以後、TGV網とドイツのICE、スペインのAVEが大陸に広がり、高速鉄道は橋やトンネルと並ぶ欧州土木の主戦場になります。線路を敷き、高架を架け、山を貫くこの巨大事業は、以後半世紀にわたって欧州のゼネコンに安定した仕事を供給し続けました。市場に任せる英国と、国家が旗を振るフランス——同じオイルショック後の危機に対して、両国はまるで正反対の処方箋を選び、その違いが以後の建設産業の性格を分けていきました。
そして1987年、二世紀越しの夢が動き出します。英仏海峡トンネルです。英国とフランスを海の底で陸続きにするというこの構想は、驚くほど古い。ナポレオン時代の技師がすでに図面を描き、1880年代には英仏双方から実際に試掘の坑道が掘り進められました。ところが工事は途中で止まります。理由は技術ではなく、軍事でした。英国側が「大陸と地続きになれば、いざというとき敵軍がトンネルを通って攻めてくる」と恐れたのです。島国であることを安全保障の根幹としてきた英国にとって、大陸とつながることそれ自体が国防上の脅威だった——この心理的な断絶が、百年にわたって計画を葬り続けました。
その夢が現実になったのは、冷戦の終わりが見え、欧州統合の機運が高まった時代です。トンネルは、英仏の大手5社ずつ、計10社の共同企業体(JV)「トランスマンシュ・リンク」によって掘られました。英側にはバルフォア・ビーティ、コステイン、テイラー・ウッドロウら、仏側にはブイグ、デュメズ、SGEらが名を連ねます。両国の建設業界の主力が総出で挑んだ国家的事業でした。海底の地質を読みながら、英仏双方から巨大なトンネル掘進機で掘り進み、海の底の一点で貫通させる——1994年に開通したこのトンネルは、全長50km、うち海底部38kmは今も世界最長です。海面のはるか下、白亜層と呼ばれる比較的掘りやすい地層を狙って水平に掘り進むという、地質学の裏付けあっての設計でした。英国側とフランス側から掘り進んだ二本の坑道が、海の底で誤差わずかで出会う——測量と掘進の技術の精緻さが、この一点に凝縮しています。列車は英国側の地下深くから海底をくぐり、フランス側に姿を現す。かつて敵の侵攻を恐れて封印された海の底が、いまや人と物が自由に行き交う欧州統合の象徴になったのです。
ただし、光の裏には影がありました。総事業費は当初計画をほぼ倍増する100億ポンド級に膨らみ、民間資金で建設した事業会社ユーロトンネルは、開通後も長く重い債務に苦しみます。技術者たちが世紀の偉業を成し遂げた一方で、その資金を出した投資家たちは、当初の見通しをはるかに超えた建設費と、想定に届かない利用収入の板挟みになりました。土木としては世紀の偉業、金融としては世紀の教訓——巨大プロジェクトの二面性を、これほど純粋に示した事業はありません。造る力があることと、その事業が採算に乗ることは、別の問題である。規模の大小はまるで違っても、見積もりの甘さが完成後の会社を長く縛るという構図は、町場の一件の工事でも変わりません。海の底の教訓は、案外身近なところに通じています。
企業地図は、この四半世紀で激変しました。まずフランスです。ここでは一見奇妙な再編が起こります。水道事業を営むコングロマリット2社——ジェネラル・デ・ゾーとリヨネーズ・デ・ゾー——が、それぞれ建設大手を傘下に収めたのです。水を売る会社が、なぜ建設会社を欲しがったのか。答えは、上下水道もまた建設して長期に運営するインフラだからです。管を敷き、施設を建て、何十年も水道料金を取り続ける——建設と運営が地続きのこの発想が、後のコンセッション(インフラの建設・運営を一体で引き受ける事業)の母胎になりました。ジェネラル・デ・ゾー系は建設大手SGEを、リヨネーズ・デ・ゾー系はデュメズをそれぞれ抱え、2000年に両系譜の建設部門が合流して「ヴァンシ」が誕生します。社名はルネサンスの万能人レオナルド・ダ・ヴィンチにちなみます。設計も施工も、そして運営も——万能を志す会社にふさわしい命名でした。
同時期にフジェロールとSAEが合併してエファージュが生まれ(1993年)、もう一方の雄ブイグは、道路や建築だけでなく携帯電話事業とテレビ局TF1までを抱える複合企業になりました。もともとコンクリートと建築で身を起こした一族の会社が、通信の電波と放送局まで手にする——それは荒唐無稽な脱線ではありません。橋も高速道路も携帯電話網もテレビ局も、いずれも初期に巨額の設備投資を行い、その後は長く利用料を回収し続けるという点で、同じ経済的性格を持つ事業なのです。建設会社がテレビ局を持ち、水道会社が建設会社を生む——一見ばらばらに見えるこの多角化は、いずれも「長く安定した利用料収入を持つ事業」への傾斜という一本の線でつながっています。単発の工事代金で食いつなぐ請負業から、資産を保有して継続収入を得るオーナー業へ。欧州の巨人たちは、この転換をこの時期に一斉に始めました。こうしたフランス資本主義の再編の中で、ヴァンシ、ブイグ、エファージュという仏3強体制が固まりました。今日まで続く欧州建設業の勢力図の骨格が、この時期にできあがったのです。日本の建設会社が近年になって「単発の工事から継続する事業へ」と模索している姿は、三十年前に欧州が通った道の後を追うものでもあります。
フランスが再編で強くなった一方、ドイツでは悲劇が起きます。創業150年の名門フィリップ・ホルツマンが、経営危機に陥ったのです。引き金は、東西ドイツ再統一(1990年)でした。旧東独の復興を見込んだ建設バブルが沸騰し、各社が競って投資したものの、需要はほどなくしぼみ、過剰な投資が不良資産となって企業を圧迫します。1999年には、事態を重く見たシュレーダー首相が自ら救済に乗り出す騒ぎとなりました。一国の首相が一企業の延命に動くほど、ホルツマンはドイツ建設業の象徴だったのです。しかし政治の手当ても及ばず、同社は2002年に倒産しました。ドイツ最古級のゼネコンの死は、単独の事件ではありません。日本の佐藤工業破綻(同じ2002年)、米国のStone & Webster破産(2000年)と同時代です——1990年代末から2000年代初頭にかけて、日米欧で同時に「名門の死」の季節が訪れていた。この産業がいかに世界の景気循環と分かちがたく結びついているかを、三大陸同時の倒産劇が物語っています。生き残ったドイツのホッホティーフは、単なる建設請負から空港運営などのコンセッションへ軸足を移して活路を探りますが、それでも2011年、スペインACSの敵対的買収に屈することになります。
そのスペインこそ、この時代の勝者です。長く欧州の周縁とされてきたこの国は、1986年のEC(欧州共同体)加盟を境に一変します。EUの構造基金——域内の経済格差を埋めるための開発資金——が大量に流れ込み、遅れていた高速道路網や鉄道が一気に整備されました。1992年にはセビリア万博に合わせて、欧州初の本格的な高速鉄道AVE(マドリード〜セビリア)が開業。国内はインフラ建設ブームに沸きます。この追い風の中から、一人の男が建設帝国を築き上げました。レアル・マドリードの会長としても世界に名を知られるフロレンティーノ・ペレスです。彼は小さな建設会社の買収から出発し、次々と同業を呑み込んでACSを築き上げ、2000年代に名門ドラガドスを、2011年には前述の独ホッホティーフを、そしてホッホティーフ傘下にあった米ターナー(後に全米首位に立つゼネコン)と豪州最大手(現CIMIC)までも支配下に収めました。
ペレスが率いたACSの拡大は、単なる規模の追求ではありませんでした。彼は自らが会長を務めるサッカークラブ、レアル・マドリードで、世界最高の選手を次々と買い集める「銀河系軍団」を作り上げた人物です。同じ発想を建設でも実践し、優れた企業を買収で束ねて巨大な連合体を築いていきました。名門ドラガドスを傘下に収め、独ホッホティーフを敵対的買収で手中にし、その先にあった米ターナーと豪州最大手までを一つの支配下に置く——スペインの一企業家が、ドイツ・米国・豪州の建設界の頂点をまとめて掌握したのです。かつて欧州の周縁だった国から現れた男が、旧来の大国の名門を次々と呑み込んでいく姿は、この時代の建設業の力学が音を立てて変わったことを示していました。
スペイン勢の快進撃はACSだけではありません。同じくスペインのフェロビアルは2006年、英国の空港運営会社BAAを買収し、ロンドンの玄関口ヒースロー空港のオーナーになりました。フェロビアルの源流は、もとをたどれば鉄道の枕木を扱う会社です。枕木屋が、大英帝国の空の玄関を買った——かつて世界を制した英国のインフラを、周縁とされたスペインの資本が手中に収めるという逆転劇でした。スペイン建設資本のこの世界制覇は、欧州建設史でも最も劇的な下剋上です。そしてこの下剋上を支えたのは、豊富な国内需要で鍛えた施工力と、コンセッションという「造って運営して稼ぐ」ビジネスモデルへの早い適応でした。国が小さくても、時流に合った稼ぎ方を先に掴んだ会社が大きくなる——この構図は、規模を問わず建設という商売の底に流れています。
イタリアでは、正反対の清算が起きます。1992年、ミラノの検察が公共工事をめぐる汚職の捜査に着手しました。これが「マーニ・プリーテ(きれいな手)」捜査、いわゆるタンジェントポリ(賄賂の街)疑獄です。公共工事の受注と引き換えに政治家や政党へリベートを渡す——そうした政官業の癒着が、堰を切ったように次々と摘発されていきました。捜査は建設業界にとどまらず政界の中枢に達し、戦後イタリアを支配してきた政党システムそのものが崩壊します。長く政権を担ってきた主要政党が、この疑獄を境にほぼ消滅したのです。公共工事という巨大な発注が、政治家への資金の還流と結びつき、その構造が国政の中枢まで腐らせていた——検察のメスは、その病巣を根こそぎ切り取りました。同じ頃、日本でもゼネコン汚職事件が世を揺るがしていました(1993年、有力政治家の金丸信をめぐる一連の摘発)。談合と政治献金をめぐる構図は、イタリアのそれと驚くほど似通っています。ユーラシアの東西両端で、ほぼ同時に「建設と政治の戦後体制」が司法の手によって解体された——これも見事なまでの同時代性です。公共工事という巨大なお金の流れは、どこの国でも政治との危うい距離を生む。その距離をどう律するかは、この産業が今なお背負い続ける宿題です。

単一通貨ユーロの導入とEUの東方拡大(2004年、中・東欧を中心とする10カ国が一挙に加盟)の時代、欧州は統合という理念を、文字どおり物理的に建設しました。国境を橋で、トンネルで、高速道路でつなぎ、大陸をひとつの市場として編み直していったのです。2000年に開通したエーレスンド橋は、デンマークの首都コペンハーゲンとスウェーデン第三の都市マルメを、海峡をまたいで結びました。橋とトンネルと人工島を組み合わせたこの連絡路によって、それまで船で渡っていた二国の間を、車と鉄道が直通で行き来できるようになります。海の途中まで橋を架け、そこから先は人工の島を経て海底トンネルへ潜る——大型船が通る航路を塞がないための工夫でした。この連絡路の開通によって、コペンハーゲンとマルメは事実上ひとつの都市圏へと融合し、国境を越えて働きに通う人々が日常的に橋を渡るようになります。二つの国の労働市場と住宅市場が、一本の構造物によって縫い合わされたのです。インフラが国境の意味そのものを薄めていく——欧州統合が掲げた理想を、この橋は最も具体的な形で体現しました。同じ頃、EU基金は東欧の高速道路網を一気に引き直し、旧共産圏のインフラを西側の水準へと引き上げていきました。ポーランドやチェコ、ハンガリーといった新規加盟国には、域内の格差を埋めるための開発資金が流れ込み、老朽化した道路や鉄道が次々と近代化されていきます。かつて鉄のカーテンで隔てられていた東西の欧州が、コンクリートとアスファルトによって物理的につながっていく。前章で見たスペインがEC加盟後にインフラ投資で急成長したのと同じ道を、今度は中東欧の国々がたどり始めたのです。そしてこの東欧の建設ブームは、西欧の大手ゼネコンにとって新たな稼ぎ場にもなりました。
山国スイスは、別種の偉業を成し遂げます。アルプスを鉄道で貫くゴッタルドベーストンネル(全長57km、世界最長の鉄道トンネル)です。前章で見た英仏海峡トンネルの海底部38kmを大きく上回るこの長大なトンネルは、アルプスの山塊を根元から水平に貫き、列車が急な峠を越えずに、ほぼ平坦なまま高速で通り抜けられるように設計されました。峠を登り降りしていた従来の山岳鉄道とはまるで違う、山の下をまっすぐ突き抜ける発想です。特筆すべきは、この巨大事業が国民投票によって決められたことでした。トラックの通過交通で傷むアルプスの環境を守り、貨物を道路から鉄道へ移すために山を貫く——その是非を国民が直接投票で選び、17年の歳月をかけて2016年に貫通させたのです。直接民主制が、20年がかりのメガプロジェクトを最後まで完遂できることを示した、スイスらしい偉業でした。決定に時間はかかっても、いったん国民が「やる」と決めた事業はぶれずに進む。合意形成のコストを先に払っておけば、着工後の迷走を避けられる——これは規模の大小を超えて、発注や意思決定のあり方を考えさせる先例です。
フランスでは2004年、エファージュが自己資金のコンセッションでミヨー橋を架けました。フランス南部、タルン川の深い谷を一またぎにするこの橋は、主塔高343m——雲の上を高速道路が渡ります。設計は英国の建築家ノーマン・フォスター、施工・保有・運営はエファージュ。政府が発注して代金を払う従来のやり方ではなく、建設会社が自ら資金を出して橋を架け、通行料を取って投資を回収し、そのまま長期にわたって運営し続ける。「建てて運営する建設業」の、これは美しい到達点でした。前章で見た水道会社がコンセッションの母胎になった話、ヴァンシやエファージュが目指した「造って持ち続けるモデル」——その思想が、谷にかかる一本の優美な橋として結晶したのです。ミヨー橋がとりわけ示唆的なのは、それが公共事業でありながら、税金を一度に投じることなく実現した点です。エファージュは橋の建設費を自ら調達し、開通後の通行料で少しずつ回収していきます。政府は巨額の予算を組む必要がなく、建設会社は完成後何十年もの安定収入を得る。谷を渡る利用者は快適な高速道路を手にする。三者それぞれに利のあるこの仕組みが、雲を貫く優美な橋という形で結実したのです。造ったものを手放さず、長く面倒を見ることで安定した収益を得る。この発想は、工事のたびに関係が切れてしまいがちな日本の元請け・下請けの世界にも、静かに一石を投じます。一件ごとに縁が切れる商いと、造った資産を長く抱えて付き合い続ける商い——どちらを選ぶかで、会社に残るものはまるで違ってきます。
しかし同じ時代、欧州は建設の失敗の見本市にもなりました。栄光と幻滅は、しばしば同じコインの裏表です。まずスペイン。前章で見た国内インフラブームは、やがて制御を失った住宅バブルへと膨れ上がりました。安い金利と楽観に押されて住宅建設が過熱し、2006年の住宅着工は約76万戸に達します。これは英国・フランス・ドイツという欧州の主要3カ国の合計を上回る、常軌を逸した数字でした。人口ではるかに劣るスペインが、大国三つ分の家を一年で建てていたのです。
2008年の金融危機で、この狂乱は破裂しました。住宅を建てては売り、その売却益でまた建てるという循環が、買い手が消えた瞬間に止まったのです。建設に依存していた経済は急速に冷え込み、失業率は26%に達します。国全体の働き手の四人に一人が職を失い、若年層に至っては二人に一人が仕事を持てないという惨状でした。建設は好況期には国じゅうに雇用を生む産業ですが、その裏返しとして、不況期には最も激しく雇用を失う産業でもある。一つの業種に経済を預けすぎることの危うさを、スペインは身をもって示しました。そして景観には、バブルの残骸が刻まれます。完成した直後に閉鎖された地方空港(利用者がほとんど現れなかったシウダー・レアル空港が有名です)や、住む人のいないまま朽ちていく幽霊ニュータウンが、各地に「新しい廃墟」として残りました。かつてローマの水道橋や中世の大聖堂を生んだ大陸に、二十一世紀の廃墟が生まれたのです。これは米国編で見たサブプライム危機の、欧州における双子でした。ただし皮肉なことに、この崩壊が次の展開を生みます。国内市場が死んだからこそ、ACSやフェロビアルら西大手は本格的に海外へ打って出て、北米・豪州のインフラ市場を制覇していきました。足元を失った企業が、生き延びるために国境を越える。危機がスペイン建設資本を世界企業へと押し出したのです。
ドイツは、別の種類の病に沈みます。「もう建てられない国」論争です。かつて「ドイツの技術」を世界に誇ったこの国が、自国のインフラをまともに完成させられなくなった。象徴が、首都の新空港ベルリン・ブランデンブルク空港でした。2006年に着工し、2011年開港の予定だったこの空港は、防火設備の不備をはじめとする数々の欠陥が次々に発覚し、延期に次ぐ延期を重ねます。とりわけ煙を排出する消火設備が複雑すぎて機能せず、完成した建物がありながら安全基準を満たせないという皮肉な状態が、何年も続きました。ターミナルは建っているのに、火災時に人を安全に逃がせないから開港できない——正確さと堅牢さで知られたドイツのものづくりが、なぜここまで躓いたのか。多くのドイツ人自身が問い続けました。結局開港できたのは2020年——工期は実に14年に及び、その頭文字をとった「BER」は、ドイツの国民的な自虐ネタになりました。同じ頃、港湾都市ハンブルクのエルプフィルハーモニー(コンサートホール)は予算が当初の10倍超に膨らみ(それでも完成後は都市の誇りとなり、多くの観光客を集めていますが)、シュトゥットガルトの巨大鉄道駅計画「シュトゥットガルト21」は市民の激しい反対運動を招きました。
かつて世界に技術を輸出した国の、内なる建設能力の劣化——その背景には、先進国に共通する構造的な難しさがあります。高い環境基準と安全基準、多数の利害関係者を巻き込む複雑な合意形成、そして現場を支える熟練工の不足。これらが絡み合うと、豊かで成熟した国ほど、かえって物を建てるのが遅く、高くなる。フランスも例外ではありませんでした。ノルマンディーのフラマンヴィルに建設された欧州加圧水型原子炉(EPR)は、工期が十年以上延び、費用は当初計画の4倍に膨張して、2024年末にようやく送電網につながりました。同型炉のフィンランドのオルキルオト3も、同じように長い泥沼にはまっています。これは米国編のボーグル原発とまったく同じ構図——「先進国はもう、原発を予算内・工期内で建てられない」という問題の、欧州版です。フラマンヴィルのEPRは、フランスが久しく新しい原発を建てておらず、その間に現場の技術継承が細っていたことも躓きの一因とされます。設計図は残っていても、それを実際の建設現場で形にする熟練の手と、複雑な工程を束ねる経験は、使われなければ痩せていく。技術そのものは失われていない。失われたのは、それを大量に手早く動かす現場の厚みと、迷いなく決めきる意思決定の速さでした。腕は使い続けなければ鈍る——これは国家の大事業でも、町場の一社の技能でも変わらない道理です。日本の建設現場が直面する担い手不足とも、根は地続きの問題です。
そして2018年8月14日、イタリアのジェノヴァ。高速道路のモランディ橋が、雨の中で突然崩落し、43人が死亡しました。1960年代に建てられたこの橋は、半世紀を経て老朽化していました。崩落は、造る技術の失敗ではなく、造った後に保つ責任の失敗です。批判の矛先は、民営化された高速道路会社(アパレルのベネトン家系が支配するアウトストラーデ)の維持管理体制に向かいました。料金を取って道路を運営する会社が、その安全にどこまで責任を負っていたのか——コンセッションという「造って運営するモデル」の、運営側の緩みが問われたのです。この惨事は、「造る時代」から「保つ時代」への転換を、欧州に最も残酷な形で突きつけました。日本で中央自動車道の笹子トンネル天井板が崩落し9人が犠牲になった事故(2012年)から6年後、欧州もまた同じ問いに直面したのです。既にあるものをどう保つか——新設より地味で報われにくいこの仕事こそ、成熟した社会の建設業が向き合うべき本題になりつつあります。
ただしイタリアは、意地を見せます。崩れた橋の跡地に、同じ港町ジェノヴァ生まれの世界的建築家レンゾ・ピアノが、無償で新しい橋を設計しました。船の帆をイメージした簡素で力強い橋です。これを、ウェブビルド——サリーニ・インプレジロが伊建設界の破綻企業群を統合して2020年に発足させた「イタリア連合」——と、造船大手のフィンカンティエリが、崩落からわずか2年足らずで造り上げ、開通させたのです。国難の現場に建築家・ゼネコン・造船会社が結集し、猛烈な速さで橋を架け直した。ここで注目すべきは、平時なら何年もの手続きと調整を要する事業が、非常時には驚くほど速く動いたことです。ふだん先進国の建設を遅らせている合意形成や手続きの重さは、決意さえ固まれば取り除けるものでもある——ジェノヴァの新橋は、そのことを逆説的に示しました。「イタリアはやればできる」——この橋は、欧州の建設能力への疑問と希望の、両方の記念碑になりました。危機の底で、この国は自らが物を建てる力をまだ失っていないことを証明したのです。速く建てられないのは能力の問題ではなく、意思決定と段取りの問題である。この教訓は、担い手不足に悩む日本の現場にとっても、決して他人事ではありません。
そして英国では、この章の冒頭で見たサッチャー以来の新自由主義建設モデルの、総決算とも言うべき出来事が相次ぎます。まず明るい面。2012年のロンドン五輪は、予算と工期をほぼ守って会場を完成させた、稀な成功例となりました。荒れた工業地帯だった東ロンドンを再生し、大会後も公園や住宅として使う——計画から後始末まで筋の通ったこの事業は、英国がまだ大規模建設を統御できることを示しました。大会が終われば無用の長物と化しがちな五輪施設を、あらかじめ「後の使い道」まで設計に織り込んでおく。造る前から使い終えた後を考えるこの発想は、規模を問わず建設という仕事の一つの理想でもあります。
しかし、影の方がはるかに濃く残ります。前章で見たとおり、英国はサッチャー以来、公共部門の直営組織を解体し、あらゆる仕事を民間に外注してきました。その帰結が、この時期に立て続けに噴き出します。2017年、ロンドン西部の公営高層住宅グレンフェル・タワーで火災が発生し、72人が死亡しました。火は、外壁に張られた可燃性の外装材を伝って猛烈な速さで上へ燃え広がった。安く見栄えよく改修するために選ばれた材料が、住民の命を奪ったのです。この惨事は、規制緩和が積み重なった末の建築規制の空洞化と、コスト削減を優先し続けた業界の劣化を、白日の下にさらしました。翌2018年には、政府の外注業務を一手に引き受けていた巨人カリリオン(従業員4万人超、PFI案件の塊)が、突然破綻します。学校給食から刑務所の運営、病院の建設まで、政府に代わってあらゆる公共サービスを担っていた会社が消えた。この破綻は、「小さな政府と民間委託」というサッチャー以来のモデルそのものを、根本から問い直させる衝撃でした。制度を輸出した国が、その制度の担い手を自ら失っていったのです。
さらに大型インフラも苦戦します。ロンドンを東西に貫く新路線エリザベス線(工事名クロスレール、統括支援は米国のベクテル)は、開通までに予定を大きく超える時間と費用を要しました。ロンドンと英国北部を結ぶはずだった高速鉄道HS2は、費用の膨張に耐えかね、2023年に北側区間の建設が打ち切られます。国家の背骨となるはずの高速鉄道が、途中で腰を折られたのです。請負業者という近代的な仕組みを世界で最初に発明した国が、いま自らの建設能力の再建に最も苦しんでいる——これは歴史の皮肉と言うほかありません。仕組みを作ることと、その仕組みを使いこなし続けることは、別の才能なのです。

①制度は輸出品になるが、発明国を救うとは限らない。PFIは世界標準になりましたが、本家英国ではカリリオン破綻でモデルごと問い直されました。仕組みをコピーするのは容易でも、それを規律をもって運用し続けるのは難しい。仕組みのコピーより、運用の規律こそが本体です。②「名門の死」は世界同時に来る。ホルツマン・佐藤工業・Stone & Websterが、同じ数年間に相次いで倒れました。どれほど社歴が長く、どれほど懸命に経営しても、マクロの波は一社の努力を超えて襲ってきます——だからこそ、平時からの財務の備えが要る。③先進国共通の病——「もう安く速く建てられない」。BER、EPR、HS2、そして米国のボーグル。合意形成の複雑さ、規制の厚み、熟練工の不足が重なると、豊かな国ほどかえって建てられなくなる。これは日本の建設業が向き合う2024年問題(時間外労働の上限規制と担い手不足)とも地続きの、成熟社会の宿題です。町場の一社にできることは限られていても、財務の余力を持ち、腕のある人を育て続けること——この地味な備えが、大きな波が来たときの生死を分けます。この回で見た四十年は、豊かになった社会が「どう建てるか」ではなく「どう建て続ける力を保つか」に悩み始めた時代でした。制度を作り、資本を集め、国境を越えて巨大化した欧州の建設業が、最後に突き当たったのは、結局のところ現場を担う人と、決めきる規律という、ごく人間的な問いだったのです。
最終回(5)は、現在。「新しく建てる」から「あるものを作り替える」への大転換、北海の洋上風力、ウクライナ復興、そして2000年を貫く5つのパターンと並列年表——連載20回の締めくくりです。
株式会社コンクルー 代表取締役 白澤光純
※本連載は通史的な読み物です。事業費・数値には資料により幅があります。