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監督者:白澤光純
株式会社コンクルー 代表取締役CEO
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送電線工事のクアンタが売上240億ドルの巨人になり、データセンター特需でターナーが四半世紀ぶりの首位交代を起こす。カテラ破綻の教訓、そして150年を貫く4つのパターンと国家史・建設史の並列年表——アメリカ編の最終回です。
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アメリカ建設業150年史、最終回です。エリー運河の泥の中で農民あがりの請負人が測量士に鍛えられたところから始まったこの物語は、大陸横断鉄道の中国人労働者、フーバーダムの砂漠、戦時の量産造船、州間高速道路、中東のパイプライン、そして名門ゼネコンの連続死を経て、いよいよ現在に追いつきます。主役はもはや、私たちが「ゼネコン」と聞いて思い浮かべる伝統的な元請だけではありません。送電線工事の会社が売上240億ドルの巨人になり、データセンターの特需が四半世紀ぶりの首位交代を起こし、そして20億ドルを集めた鳴り物入りのスタートアップが、たった数年であっけなく破綻しました。今回はこの「現在」を、できるだけ固有名詞と数字を伴って描きます。そして最後に、150年を貫く四つのパターンをまとめ、アメリカという国家の歩みと建設業の歩みを並べた並列年表を付けます。ここまで積み上げてきた話が、ひとつの絵として見えるはずです。

過去十数年で、米国建設業に起きた最も重要な構造変化は何かと問われたら、私は迷わず「価値の移動」と答えます。産業の付加価値の重心が、薄い利益でリスクだけを仲介するゼネコン(GC=ゼネラル・コントラクター)から、実際に職人を直接雇用して手を動かす専門工事会社(サブコントラクター)へと、はっきり移ったのです。
これは、この連載の第1章で見た「ゼネコンの発明」と、ちょうど裏返しの現象です。1882年、ジョージ・A・フラーは「単一の契約ですべての工種を引き受け、専門業者を束ねて調整する会社」というゼネラル・コントラクターの業態を発明しました。シカゴ大火のあと鉄骨高層ビルの工事があまりに複雑になり、施主が大工や石工を個別に束ねる旧来の「マスタービルダー」方式が破綻したからです。以来140年余り、ゼネコンは産業の頂点に君臨してきました。ところが今、その「束ねて調整する」という機能そのものの利幅が薄くなり、逆に「束ねられる側」だったはずの専門工事業者に、成長も利益も集まり始めているのです。なぜか。理由はシンプルで、ゼネコンは元来、自分では職人を抱えず、仕事を右から左へ流してリスクを引き受けることで薄い手数料を得る商売だからです。人手不足が深刻になり、腕のいい職人を「持っている」こと自体が希少資源になった時代には、職人を直接雇用している側が強い。価値は、労働の現物を握る者へと戻っていきました。
皮肉なことに、業態の発明者フラー自身の会社が、この構図の危うさを先に体現していました。フラーの会社は、ニューヨークの名所フラットアイアンビル(1902年、正式名称は今も「フラービル」で、実は同社の本社でした)を筆頭に、旧ペンシルベニア駅(1910年)やリンカーン記念堂(1922年)といった時代を代表する建物を次々に手がけた、文字通り「ゼネコンの父」でした。それでも、1970年代には市場から静かに姿を消しています。「束ねて調整する」という業態を発明した会社ですら、その調整料だけでは永続できなかった——専門工事の逆襲は、実はこの産業の始まりから伏線が張られていたのかもしれません。自分の会社は、何を「発明」ではなく「所有」しているのか。フラーの退場は、その問いを100年越しに突きつけてきます。
その象徴がQuanta Services(クアンタ・サービシズ)です。1998年、全米にバラバラに存在していた電気・送電線工事の中小業者を、次々に買収して束ねる「ロールアップ」(同種の企業を連続的に買収して一つの上場企業に統合する手法)として生まれた会社です。誕生時には無名の集合体にすぎませんでしたが、この会社は二つの巨大な追い風を正確に捉えました。ひとつは、老朽化した米国の送電網を丸ごと更新しなければならないという、長年先送りされてきた設備更新需要。もうひとつは、風力や太陽光といった再生可能エネルギーの発電所を、既存の送電網に接続していく新規工事の需要です。この二つに乗って、Quantaは売上高240億ドル規模の巨人へと成長しました。かつて「電気工事屋の寄せ集め」と見られていた会社が、いまや米国のエネルギー転換の物理的な担い手なのです。
同じ流れは、専門工事のあらゆる分野で起きています。空調・電気・配管といった、建物の「中身」をつくる設備工事(MEPと総称されます)を束ねたEMCORやComfort Systems USAは、地味な下請けの集合体でありながら、株式市場では堅実に伸びる優良銘柄として評価されるようになりました。通信・エネルギーインフラの分野では、亡命キューバ人のホルヘ・マス一族が一代で築き上げたMasTec(マステック)が同様の存在感を放ちます。かつては誰も注目しなかった「サブコン」が、今や最も成長性の高いセクターとして、投資家の資金を吸い寄せているのです。プライベート・エクイティ・ファンドが全米の空調・配管会社を競うように買い漁っているのも、住宅設備業者向けの業務管理SaaSを提供するServiceTitan(サービスタイタン)が2024年末に株式公開を果たして大きな注目を集めたのも、根っこは同じ、この「専門工事の逆襲」という大きな地殻変動の上にある出来事です。
ここには、日本の町場の私たちにとっても示唆があります。米国で価値が戻っていった先は、巨大な元請ではなく、特定の職種に強く、職人を実際に抱えている専門工事の会社でした。規模の大小ではなく、「現場の労働を本当に握っているか」が価値の源泉になった。人手不足という条件は、日本の建設業のほうがむしろ深刻です。自社が何の職種で、どんな腕を「現物として」持っているのか——その問いは、これからますます重くなると私は考えています。

そして、国家が再び戻ってきました。この連載で繰り返し見てきたパターン——連邦政府の巨大支出が波のように押し寄せ、その波頭に乗った会社が時代の主役になる——が、21世紀の姿で反復されているのです。私はこれを、1930年代のニューディールになぞらえて「新々ディール」と呼んでいます。
柱は三本の巨大な連邦法です。第一に、2021年のインフラ投資・雇用法(IIJA)。道路・橋・港湾・上下水道・送電網・ブロードバンドといった伝統的インフラに、約1.2兆ドルを投じる法律です。第二に、2022年のCHIPS・科学法。台湾や韓国に依存しきった半導体の生産を、補助金を武器に国内へ呼び戻すための法律です。第三に、同じく2022年のインフレ抑制法(IRA)。名前は物価対策ですが、実質は気候・エネルギーへの巨額の産業政策で、電池工場やクリーンエネルギー設備の国内建設を強力に後押ししました。この三本が同時に効いて、建設需要を一気に押し上げたのです。
その結果、地図上に巨大な工事現場が次々と出現しました。台湾TSMCがアリゾナに建てる先端半導体工場、Intelがオハイオに構える巨大な工場群、そして各地に立ち上がる電池工場。半導体工場や電池工場は、ただ広いだけでなく、超高精度のクリーンルームや膨大な配管・電気設備を要する、建設難度の極めて高い建物です。ここでも、先ほど見た専門工事の実力がものを言いました。そして何より桁が違ったのが、生成AIブームが生んだデータセンターです。ChatGPTに象徴される生成AIの計算需要を支えるため、ハイパースケーラーと呼ばれる巨大IT企業(クラウド大手)が、電力を大量に食う巨大なサーバー建屋を全米に競って建て始めました。その投資規模は、年間で数千億ドルという、かつての単一プロジェクトでは考えられない水準に達しています。鉄道が、ダムが、高速道路が時代の主役の建設会社を生み出したように、今度はデータセンターがそれをやろうとしているのです。
この未曾有の特需を、最も的確に捉えた会社がありました。Turner(ターナー)です。データセンターと先端工場という、いま最も需要が集中する分野で圧倒的な施工実績を積み上げたTurnerは、業界誌ENR(Engineering News-Record)が毎年発表するゼネコン売上ランキングで、四半世紀にわたって首位を守り続けてきたBechtel(ベクテル)を、2025年についに上回ったと報じられました(出典:Construction Dive)。
これは、この連載を読んでこられた方には感慨深い出来事のはずです。Turnerは1902年、クエーカー教徒のヘンリー・ターナーが、ランサム式鉄筋コンクリートの特許ライセンスだけを元手に興した会社でした。「鉄とコンクリートで建物を建てる」こと自体がまだ最先端技術だった時代に、防火性と耐久性、そして品質と誠実さを売りに、一歩ずつ実績を積んできた会社です。その会社が、一世紀を超える旅の末に、米国建設業の頂点に立った。もっとも、話はそれほど単純ではありません。前章で見たように、Turnerは1999年にドイツの建設大手Hochtiefに買収され、そのHochtiefは2011年にスペインの建設大手ACSに支配されました。つまり現在、米国を代表するビルを建て続けるTurnerの最終的なオーナーは、ACS会長にしてサッカークラブ「レアル・マドリード」会長でもあるスペインの実業家です。純粋な米国企業が頂点に返り咲いたというより、グローバル資本の傘の下で、Turnerというブランドが頂点に立った——それが正確な描写です。それでも、鉄筋コンクリートの特許一つから始まった会社の到達点として、これはひとつの節目に違いありません。
頂点を譲ったベクテルも、決して衰えたわけではありません。創業者ウォーレン・ベクテルがラバの隊列を率いて鉄道の土工から始め、息子スティーブ・ベクテル・シニアの代で巨大プロジェクト・カンパニーへと脱皮したこの同族企業は、今も5代目のブレンダン・ベクテルが率いています(出典:Fortune)。そのベクテルは、ジョージア州ボーグル原発の3・4号機を、2023〜24年にかけてついに完成させました。米国でおよそ30年ぶりとなる、新規原子力発電所の稼働です。1950〜60年代の「平和のための原子力」政策の下でベクテルとStone & Websterが原発を量産し、1979年のスリーマイル島事故で市場が凍りついてから、実に長い空白を経ての再稼働でした。ただし、この完成にも影がつきまといます。建設費は当初見積もりの2倍以上に膨らみ、工期は当初計画から7年も遅れました。この連載を貫くテーマである「固定価格の毒」が、21世紀の原発でもやはり牙を剥いたのです。海外に目を向ければ、ベクテルはサウジアラビアのリヤド地下鉄を完成させ、同国が国家事業として進める巨大未来都市NEOMの建設にも関与し続けています。中東で油田から地中海へパイプラインを敷いた黄金時代の延長線上に、今も同社は立っています。
そのほかの上位陣を見ても、この産業の「生き残りの作法」が浮かび上がります。Kiewit(キーウィット)は、1884年にオランダ移民の煉瓦職人兄弟がオマハで創業して以来、一度も株式を上場せず、社員が株を持ち退職時に会社へ売り戻す独特の従業員所有制を守り抜いたまま、北米最大級のインフラ建設業者であり続けています。無借金経営で知られる非公開ゼネコンWhiting-Turnerや、1870年創業の同族企業Gilbaneも、派手さはなくとも堅実な経営で上位に並びます。頂点にいるのは外資傘下のTurner、その周りを固めるのは同族・非公開・社員所有の老舗——この顔ぶれ自体が、後で述べる「長寿の条件」を静かに物語っています。
華やかな特需の裏で、しかし、産業の足元は確実に揺らいでいます。第一の問題は、人です。建設労働者の高齢化は深刻で、腕を持った熟練職人がどんどん引退していく一方、若者の入職は細っています。きつい・汚い・危険というイメージ、そして景気で仕事が増減する不安定さが、若い世代を現場から遠ざけているのです。
その穴を埋めてきたのが、移民労働者でした。米国の建設労働者は、およそ4人に1人が外国生まれです。テキサスの躯体工事やコンクリート工事のような一部の分野では、その比率はさらに高くなります。これは決して新しい現象ではありません。この連載の出発点で見た通り、大陸横断鉄道を掘り進んだのは中国人移民であり、東から線路を敷いたのはアイルランド移民と復員兵でした。「移民が建てる産業」というのは、米国建設業の150年来の本質そのものなのです。担い手が中国人からラテン系職人へと入れ替わりながら、その構造は今も脈々と続いています。そして、線路を敷いた中国人が1882年の排華法で排除されたように、現場を支える移民が政治の都合で排除の対象になる——この不吉なパターンもまた、形を変えて繰り返される危うさをはらんでいます。
そして、最大のパズルが生産性です。戦後、製造業の労働生産性は技術革新によって何倍にも跳ね上がりました。自動車工場の一人あたり生産台数は、劇的に増えたのです。ところが建設業の労働生産性は、1960年代からほとんど横ばいのまま、統計の取り方によっては低下すらしていると指摘されます。これは「建設生産性の謎」として、長年にわたって経済学者たちを悩ませてきた難問です。なぜ建設だけが取り残されたのか。一品ごとにオーダーメイドで、屋外で、天候に左右され、無数の専門業者がプロジェクトごとに離合集散する——後で述べる産業の「断片化」こそが、その根っこにあると私は見ています。
この長い停滞こそ、いま最も熱いテクノロジーの主戦場です。ここで、極めて示唆に富む二つの対照的な物語が生まれました。
ひとつは、勝った側の物語です。2002年に創業したProcore(プロコア/2021年にIPO)は、断片化した建設プロジェクトの膨大な情報——図面、施工写真、日報、変更指示、安全記録——を、一つのクラウド・プラットフォーム上でつなぐソフトウェアで成功しました。設計事務所も、元請も、無数の専門工事業者も、同じ画面を見て仕事ができるようにする。産業のあり方そのものは変えず、バラバラなプレイヤーを「情報でつなぐ」ことに徹したのです。設計ソフトの巨人Autodeskも、設計から施工までを一気通貫でデジタル化する方向で、この領域を押し進めています。
もうひとつは、負けた側の物語です。ソフトバンク・ビジョン・ファンドが20億ドル超を注ぎ込んだ野心的なスタートアップKaterra(カテラ)は、まったく逆の賭けに出ました。建設という産業そのものを、モジュール(部材ユニット)を巨大な自社工場で大量生産する「製造業」に作り変えようとしたのです。設計から部材製造、施工までを一社で垂直統合し、自動車工場のように住宅やビルを生産する——この壮大なビジョンは、しかし2021年に破綻しました。垂直統合された巨大工場ではなく、既存の断片的な産業構造をそのまま受け入れて、その上をソフトウェアの薄い層でつなぐProcoreのようなやり方のほうが勝ったのです。この対比は、直近の、そして極めて重要な教訓だと私は考えています。断片化しきったこの産業を、力ずくで一社に統合しようとした試みは、20億ドルを燃やして潰えた。産業の「地形」に逆らうのではなく、その地形をそのまま活かして価値を生む——次の章の主役は、たぶんそちら側から現れます。

エリー運河から生成AIのデータセンターまで、この長い物語を通して見ると、時代を超えて繰り返し現れる四つのパターンが浮かび上がります。最後に、それを整理しておきます。
米国建設業は常に、その時代の最も新しい移民の労働によって築かれてきました。大陸横断鉄道のシエラネバダ山脈を、手掘りとニトログリセリンで穿った中国人労働者。カンザスで家畜を失い無一文になり、ラバを追ってカリフォルニアに流れ着いて土工請負を始めたウォーレン・ベクテル。雇い主の倒産で未払いになった賃金の代わりに中古の機材とラバを受け取り、そこから会社を興したテキサスのブラウン兄弟。そして今日、全米の現場を支えるラテン系の職人たち。担い手の出身地は移り変わっても、「その時代の新参者が、汗で産業を建てる」という構図は、150年間まったく変わっていません。米国の物質的な繁栄は、常に移民の腕の上に建っていたのです。
移民が建てたのは、無名の労働者としてだけではありません。ドイツ移民の技師ジョン・ローブリングが設計したブルックリン橋(1869〜83年)は、その象徴です。ローブリング自身は着工直後の事故で命を落とし、跡を継いだ息子ワシントンは潜函病で半身不随となり、最後は妻エミリーが事実上の現場指揮を執って橋を完成させました。移民一家が、三人がかりで、命と体を削って架けた橋——これほどアメリカ的な建設の物語もありません。技師も、起業家も、そして名もなき職人も、この国の建設は移民という新しい血によって世代ごとに更新されてきたのです。そしてこの構図は、決して過去のものではありません。今この瞬間も、米国の巨大なデータセンターや半導体工場の型枠を組み、配管を通しているのは、その多くが移民の手です。150年前と本質は同じまま、担い手だけが新しくなり続けている——ここに、この産業のしぶとさと危うさが同居しています。
連邦政府の巨大支出が、周期的に大波となって押し寄せ、その波頭に乗った会社が時代の主役になる——これが二つ目のパターンです。太平洋鉄道法による公有地と国債の補助。大恐慌を救ったニューディールのフーバーダム。総力戦として国家が建設を丸ごと民間委託した第二次大戦。約6.6万kmに及ぶ州間高速道路網。そして今日のIIJA・CHIPS・IRA。時代ごとに名前は変わっても、需要の源泉はいつも同じ場所にありました。米国の大手建設会社にとって、最大の顧客は建国以来ずっとワシントン、すなわち連邦政府だったのです。「請負業者の国」として、公共インフラの計画は政府が、実行は民間の請負が担う——序章で見たこの分業の遺伝子が、150年を貫いて働き続けています。この波がいつ、どこに来るかを読むことが、米国のゼネコンにとって最大の経営判断でした。
この波の一つひとつが、主役を生んでは押し上げてきました。フーバーダムでは、単独では入札保証金すら用意できない中堅が「シックス・カンパニーズ」という史上初の本格的ジョイントベンチャーを組み、その現場からヘンリー・カイザーもモリソン・クヌーセンも全国区へと駆け上がりました。第二次大戦では、船を一隻も造ったことのなかったカイザーが、工程を細分化して未経験者に組み立てさせる量産方式で戦時中に約1,490隻を建造し、最速記録はわずか4日15時間半で1隻を進水させています。戦後の郊外化の波では、ウィリアム・レヴィットが住宅建設を26の工程に分解した「現地での流れ作業」で戸建てを量産し、「住宅業界のヘンリー・フォード」と呼ばれました。州間高速道路の波は、オマハのKiewitを「ハイウェイ王」に押し上げました。さらに戦争そのものも国家支出のパルスであり続け、ベトナムのRMK-BRJから、イラクで累計数百億ドル規模のLOGCAP兵站契約を担ったKBRまで、戦場の建設は常に請負業者が引き受けてきました。波の名前は違っても、構図は同じです。そして今、その波は半導体工場とデータセンターという形で、また新しい主役を選ぼうとしています。
三つ目は、この連載で最も繰り返し見てきた、残酷なパターンです。死んでいった名門の多くは、しばしば固定価格で巨大プロジェクトのリスクを丸呑みした会社でした。ゼネコンという業態そのものを発明したジョージ・A・フラーの会社ですら、1970年代には市場から姿を消しました。「地球の表面を、生きているどの人間よりも変えた男」と讃えられたハリー・モリソンのモリソン・クヌーセンは、放漫経営と多角化の末に1995年に破綻し、三度転売された果てに名前ごと溶けて消えました。1889年創業の名門Stone & Websterも、CB&Iも、そしてそれを救済買収したMcDermottも、原発や化学プラントを「総額いくらで完成させます」と固定価格で請け負い、工期延伸とコスト超過の損失を丸ごとかぶって、数珠つなぎに倒れていきました。21世紀の鳴り物入りのKaterraも、結局は自ら抱え込んだリスクの重さに潰れたのです。
とりわけ21世紀初頭の原発新設ブームで起きた連鎖死は、この毒の恐ろしさを凝縮しています。ジョージア州ボーグルとサウスカロライナ州V.C.サマーで久々の原発建設が始まると、原子炉メーカーのウェスチングハウスと、施工を担うCB&I/Shawが、揃って固定価格契約に突き進みました。結果は破滅的で、建設は遅延と費用超過にまみれ、2017年、当時は東芝傘下だったウェスチングハウスが巨額損失を抱えて連邦破産法第11条を申請します。その余波でCB&IはMcDermott Internationalに救済買収され、そのMcDermott自身も2020年に破産しました。ウェスチングハウス→CB&I→McDermottと、名門が数珠つなぎに倒れていったのです。同じ毒は、米E&Cの象徴だったFluorをも蝕み、同社は2019〜20年に固定価格案件の損失と会計問題で深刻な経営危機に陥りました。だからこそ設計・エンジニアリング業界の合言葉は、はっきりしていました——「施工リスクから逃げ、コンサルティングへ移れ」。物を建てて損失を抱えるより、図面と助言で安定した利益を得るほうがいい、と。
逆に、長く生き残ったのはどんな会社か。実費精算(コストプラス)契約を好み、リスクを施主と分け合うことを徹底したベクテル。入札に規律を持ち込み、勝てない仕事は追わないKiewit。無借金経営を貫くWhiting-Turner。共通するのは、明確な「リスク文化」を持っていたことです。そして、これら長寿企業の多くが同族経営・非公開であるのは、決して偶然ではありません。Kiewitは、創業者ピーター・キーウィットが設計した従業員所有制——社員が株を持ち、退職時に会社へ売り戻す仕組み——によって、株式を一切上場しないまま今日まで米最大級のゼネコンであり続けています。ちなみに同社のオマハ本社ビルには、1962年からウォーレン・バフェットのバークシャー・ハサウェイが入居し、半世紀以上も本拠を構え続けました。世界最大級の投資会社が、米最大級の非公開ゼネコンの建物に間借りしていたわけです。四半期ごとに利益の増加を求める株式市場の圧力と、何年もかけて巨大な構造物を造り、景気変動に激しく晒されるこの産業のリズムは、根本的に相性が悪い。だからこそ、株主の短期的な期待から自由でいられる同族・非公開の会社が、荒波を越えて生き残ってきたのです。ここは、規模を追うより身の丈のリスクを守る町場の経営に、そのまま重なる教訓だと私は感じています。四半期の数字に追われず、無理な安値受注を断り、身の丈で借入を抑える——派手さはなくとも、それが150年の淘汰を生き抜いた会社たちの、共通の作法でした。
最後のパターンが、いちばん奥深いものです。米国の建設市場は、年間約2.2兆ドルに達する巨大産業です(出典:米国勢調査局)。ところが、その担い手である企業の数は70万社を超え、その平均従業員数は10人前後にすぎません。企業の8割以上は、従業員20人未満の小さな会社です(出典:NCCER)。売上トップ400社をすべて足し合わせても、市場シェアは全体の2〜3割程度にしかなりません。つまり、圧倒的多数の仕事は、無数の小さな会社が担っているのです。
これは、驚くべきことです。ジョージ・A・フラーがゼネラル・コントラクターという業態を発明してから140年余り、自動車も、鉄鋼も、小売も、金融も、あらゆる産業が少数の巨人による寡占へと向かったのに、建設業だけは産業構造が驚くほど19世紀のまま残りました。無数の小さな専門業者が、プロジェクトごとに集まっては解散する——そういう世界が、今も続いているのです。一品ごとに場所も条件も違い、屋外で天候に左右され、地域ごとに規制も職人のネットワークも異なる。この産業は、その本質からして「一社にまとめる」ことに強く抵抗するのだと思います。第三のパターンで見たKaterraの敗北も、突き詰めればこの断片化の壁に阻まれたものでした。
だからこそ、ProcoreやServiceTitanのようなソフトウェアが、この断片化した産業を「情報で繋ぐ」ことに、はっきりとした価値を見出せたのです。統合できないなら、つなげばいい。そして、慢性的な人手不足、労働者の高齢化、半世紀横ばいの生産性という積年の課題に対して、いま新たにAIエージェントとロボティクスが応えようとしています。それは、この150年の物語の、明確な「次の章」です。鉄道が、ダムが、高速道路が、そしてデータセンターがそうであったように、新しい技術の波が、また新しい主役を生み出そうとしている。その入り口に、私たちは今、立っています。私たちコンクルーも、この「次の章」を日本の町場から書く一員でありたい——そう思いながら、この連載を締めくくります。
最後に、アメリカという国家の出来事と建設業の出来事を並べた年表を置いておきます。両者がどれほど連動してきたかが、一覧で見えるはずです。
年 | アメリカ国家の歴史 | 建設業の歴史 |
|---|---|---|
1802 | 陸軍士官学校ウェストポイント設立 | 陸軍工兵隊が事実上唯一の国家建設組織として発足 |
1817–25 | エリー運河開通、西部開拓が加速 | 運河の現場が「米国最初の土木学校」となり技師を育成 |
1852 / 1857 | 産業社会の制度整備 | ASCE(土木学会)・AIA |
1861–65 | 南北戦争 | 戦時の鉄道・要塞需要、 |
1862 | リンカーン、太平洋鉄道法に署名 | 大陸横断鉄道に公有地・ |
1869 | 大陸横断鉄道完成、国土が鉄路で統一 | 中国人・アイルランド移民労働者が主役、 |
1871 | シカゴ大火 | 焼け跡に鉄骨高層ビル、 |
1872 | クレディ・モビリエ事件(鉄道汚職) | 建設と政治の癒着が産業誕生時から構造化 |
1882 | 排華法(中国人移民を排除) | ジョージ・A・フラー |
1883 | — | ブルックリン橋完成 |
1869–84 | 金ぴか時代、産業資本の勃興 | McCarthy・Gilbane・ |
1889 | — | Stone & Webster、CB&I創業 |
1898 | 米西戦争、海外進出の始まり | ウォーレン・ベクテルがラバ追いで鉄道土工請負を開始 |
1902 | 革新主義時代 | ヘンリー・ターナーが鉄筋コンクリートでTurner創業 |
1912–19 | 自動車の大衆化、第一次大戦 | Fluor・Halliburton・ |
1929 | 株価大暴落、大恐慌へ | 公共事業が産業の救世主に |
1931–35 | ニューディール政策 | フーバーダム=シックス・カンパニーズ、 |
1933 | TVA設立、連邦が巨大発注者に | ベクテル創業者モスクワで急死、 |
1941–45 | 第二次世界大戦、総力戦 | カイザーの量産造船、 |
1945 | 戦後の繁栄、ベビーブーム | カイザー・パーマネンテ |
1947 | 郊外化の始まり | レヴィットタウン、 |
1956 | アイゼンハワー、州間高速道路法 | Kiewitが「ハイウェイ王」に、土工需要が爆発 |
1950s–60s | 冷戦、「平和のための原子力」 | ベクテル・Stone & Websterが原発を量産、 |
1962 | キューバ危機 | Kiewit本社にバフェットのバークシャーが入居 |
1964–73 | ベトナム戦争、公民権運動 | RMK-BRJが米軍工事を担い反戦運動の標的に、WTCでCM方式確立 |
1973 | 第一次石油危機 | 中東特需と、国内オープンショップ運動 |
1979 | スリーマイル島原発事故 | 原発新設市場が凍結、 |
1981 | レーガン政権発足 | ベクテルのシュルツが国務長官・ |
1991 | 湾岸戦争、冷戦終結 | ベクテルがボストンBig Dig統括開始 |
1995 | — | モリソン・クヌーセン破綻、 |
1998–99 | 好景気、グローバル化 | Halliburtonがドレッサー合併(KBRの原型)、 |
2001–03 | 9.11、アフガン・イラク戦争 | KBRの兵站契約が数百億ドル規模に、 |
2008 | リーマン・ショック、住宅危機 | ホームビルダー半壊、 |
2010–14 | 景気回復、シェール革命 | AECOMが買収で世界最大級に |
2011 | — | スペインACSがHochtiefを支配=Turnerの実質オーナーがレアル・ |
2017 | — | ウェスチングハウス破産、 |
2020 | コロナ禍 | McDermott破産、Fluor危機、設計各社が |
2021 | インフラ投資・雇用法 | Katerra破綻(垂直統合の敗北)、 |
2022 | CHIPS法・IRA成立、半導体国内回帰 | TSMC・Intel工場、 |
2023–24 | 生成AIブーム、再工業化 | ベクテルがボーグル原発を約30年ぶり完成、 |
2025 | — | TurnerがENR首位でBechtelを抜く、 |
ここまで5回、お付き合いいただきありがとうございました。次からは日本編です。世界最古の企業・金剛組の飛鳥時代から始まる、1400年の物語。アメリカ編と対にして読むと、日本の建設業の特異さと普遍性の両方が見えてきます。この歴史シリーズはほかにヨーロッパ編・中国編、そして人類40万年の建設史へと続いていきます。
株式会社コンクルー 代表取締役 白澤光純
※本連載は通史的な読み物です。各社の創業年・プロジェクト規模・金額等には資料により異同がある場合があり、特に古い時代の数値や「史上最大」「最速」といった記録は出典により幅があります。個別の事実を意思決定に用いる際は一次資料での確認をおすすめします。