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監督者:白澤光純
株式会社コンクルー 代表取締役CEO
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4日と15時間半で船を1隻進水させたカイザー、原爆施設を建てたゼネコン、高速道路の「ハイウェイ王」キーウィット、郊外を発明したレヴィット。戦争と戦後がつくった米国建設業の黄金時代を描く連載第3回です。
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アメリカ建設業150年史の第3回です。前回はフーバーダムという「産業のビッグバン」までを見ました。単独では入札保証金すら用意できない中堅業者たちが「シックス・カンパニーズ」という史上初の本格的なジョイントベンチャーを組み、砂漠の灼熱の中でコロラド川をせき止めた——そこまでが前回でした。今回は、その延長線上で起きたことを追います。すなわち、建設会社が一民間企業であることをやめ、国家機構そのものになった戦争の四年間と、その後の四半世紀。高速道路・郊外・原子力・中東という四つの需要が同時に爆発した、まぎれもない黄金時代の話です。
先に一つだけ、この回を貫く視点を書いておきます。フーバーダムで確立した「連邦政府こそ最大の顧客」という構図は、戦争と戦後で完成形に達します。政府が何にお金を使うかが、そのまま「次に誰が時代の主役になるか」を決める。その因果を、固有名詞と数字を追いながら見ていきます。
もう一つ、今回は「工程の分解」という言葉が何度も出てきます。船でも、家でも、超高層ビルでも、この時代の勝者たちは判で押したように同じことをやりました。仕事を細かい工程に割って、並べ替えて、未経験者でも回せる形にする。人手が足りない、熟練がいない——その悩みは今の日本の建設現場とまったく同じです。だからこの回は、80年前のアメリカの話でありながら、町場の会社にとっての実務書のようにも読めます。そのつもりで読んでいただけると、拾えるものが多いはずです。

第二次世界大戦は、米国の建設会社を国家機構そのものに変えました。総力戦とは、前線の兵士だけでなく、後方の工場・基地・船・兵器、そして秘密都市までを、かつてない速度で「造り出す」戦争のことです。国はそれを直営の建設組織で賄おうとはしませんでした。前回までに見た通り、米国には巨大な官営建設機構がそもそも存在しない。だから総力戦の物理的な実行部分は、そっくり民間の請負業者に委ねられます。平時に鉄道やダムを請け負っていた会社が、そのまま戦争の下請けになった。ここで「請負業者の国」という米国建設業の遺伝子が、国家の存亡を賭けた場面で全開になります。

その最も象徴的な例が、ヘンリー・カイザーの造船です。前回、フーバーダムで全国区の名声を得た人物として登場した、あのカイザーです。注意してほしいのは、彼はそれまで船を一隻も造ったことがなかった、という一点です。造船所も持っていなければ、船大工の技能集団も抱えていない。にもかかわらず彼は、政府の要請に応えて西海岸に造船所群をゼロから立ち上げ、戦時の商船不足を一手に埋めにいきます。門外漢が国家の急所を引き受けた——ここにこの人物の異常さがあります。
彼が持ち込んだのは、造船の伝統的な作法ではなく、まったく別の産業の思想でした。ひとつは溶接です。従来、船体の鋼板は職人がリベット(鋲)を一本ずつ打って接合していました。これは高度な熟練を要し、時間もかかる。カイザーはこれを溶接に置き換えます。溶接なら、リベット打ちほどの長い修業を積まなくても、比較的短い訓練で戦力になる。もうひとつがブロック工法です。船を一箇所で頭から順に組み上げるのではなく、船体をいくつもの大きなブロックに分け、別々の場所で同時並行に作り、最後にドックで一気に接合する。工程を分解し、並列化し、規格化する——これは彼が造船をやったというより、フォードの自動車の流れ作業を船に持ち込んだ、と言うべきものでした。熟練工が足りないなら、工程の側を、未経験者でも組み立てられるように設計し直せばいい。技能を人の腕から段取りと道具の側へ移し替える発想です。
この思想の効果は数字に出ました。カイザーの造船所群は戦時中にリバティ船を中心に1,490隻を建造し、最速記録に至っては、わずか4日と15時間半で一隻を進水させています。もはやプロパガンダのような数字ですが、実際に叩き出された記録です。そして冒頭の写真が示す通り、この現場を支えたのは、それまで造船とは無縁だった大量の未経験者——多くの女性工員を含む——でした。男性が戦地に取られた社会で、工程を細分化したからこそ、彼女たちが即戦力として造船所に立てた。「工程分解は人手不足への処方箋である」という、この連載で繰り返し出てくる主題が、ここで最も鮮烈な形をとります。技能が足りないことを嘆く前に、技能を要求する工程そのものを疑え——町場の現場にもそのまま刺さる問いだと、私は思います。
ここで一つ、経営者として立ち止まりたいのは、カイザーが「造船の素人だったからこそ」これができた、という逆説です。もし彼が造船の伝統に深く通じた人物だったら、リベットを溶接に置き換えることにも、船を頭から順に組む常識をブロックの並列生産に組み替えることにも、おそらく現場の抵抗ともっともらしい反論に直面したはずです。「船とはそういうものではない」という業界の常識を、彼は知らなかった、あるいは意に介さなかった。前回紹介したベクテルの社是「我々は建設業ではなく、金を稼ぐ商売をしている」と同じ精神が、ここにも流れています。目の前の仕事を「その業界の作法」ではなく「解くべき段取りの問題」として捉え直す。人手不足が構造的になった今の建設現場でこそ、この素人の視点は効くのではないかと思います。慣れた手順の中に、実は「熟練者にしかできない」と思い込んでいるだけの工程が、案外たくさん潜んでいるものです。
ただ、カイザーの戦争が残した最大の遺産は、実は船ではありませんでした。彼は造船所と製鉄所の労働者のために、月々の前払いで医療を提供する仕組み——プリペイド・ヘルスプラン——を始めます。あらかじめ定額を払っておけば、必要なときに医療が受けられる。過酷な現場で大量の労働者を働かせる以上、その健康を組織的に支える仕組みが要る、という発想でした。当時としては先進的な福利厚生です。
戦争が終わり、造船所の仕事が縮小しても、この医療の仕組みは残りました。やがて一般に開放され、いまでは会員1,200万人超を抱える全米最大級の統合医療システム「カイザー・パーマネンテ」になっています。ここで立ち止まって考えたいのは、この事実の異様さです。米国は国民皆保険を持たない国です。その国で、医療のあり方そのものに最も大きな影響を与えた仕組みのひとつが、医療の専門家ではなく一人の建設業者の福利厚生制度から生まれた。建設業がアメリカ社会の深部にどれだけ食い込んでいるかを示す、これ以上ない例だと思います。人を大量に動かす産業は、いつのまにか社会制度そのものを設計してしまうことがある——経営の視点でも、覚えておく価値のある話です。
そして、あの原子爆弾もまた、請負業者が建てました。マンハッタン計画というと物理学者たちの頭脳戦のイメージが強いですが、その物理的な実体は、巨大な建設・運転プロジェクトの集合体です。数式を兵器に変えるには、途方もない量のコンクリートと配管と建屋が要る。それを担ったのは、平時にプラントやダムを造っていた民間企業でした。
テネシー州オークリッジの巨大複合施設は、Stone & Webster——前回もちらりと出た、1889年創業の電力エンジニアリングの名門——が総合管理を担いました。ウラン濃縮のための気体拡散工場K-25は、M.W.ケロッグ社が計画専用に設立した特別子会社ケレックス(Kellex)が設計します。気体拡散とは、ウランを気体の化合物にして無数の微細な隔膜を通し、わずかな重さの違いを利用して核分裂しやすい種類だけをじりじり選り分けていく方法で、それを工業規模でやるための工場は当時、人類が造ったことのない代物でした。前例のない技術のための前例のない工場を、民間のエンジニアリング会社が図面に落とした、ということです。しかもこの計画は極秘でした。現場で働く多くの作業員は、自分たちが何を造っているのかを知らされないまま、指示された壁を立て、指示された配管を通していました。全体像を知る者はごく一部に限られ、大多数は分割された工程の一片だけを担う。ここでも「工程の分解」が、今度は速度のためではなく秘密保持のために働いています。仕事を細かく割って、それぞれが担当分しか見えないようにすれば、全体は誰にも読めなくなる。分業というものが持つ、この匿名性の側面もまた、総力戦が引き出したものでした。
もうひとつ、ワシントン州ハンフォードのプルトニウム生産施設は、化学大手デュポンが丸ごと引き受けました。ここで注目したいのが、その契約形態です。デュポンはこの仕事を「原価+報酬1ドル」という象徴的な条件で請け負いました。かかった費用は国が実費で払う、そのうえで会社の取り分(フィー)はたったの1ドルだけ、という意味です。儲けではなく国家への協力として引き受けた、という建前を形にした契約でした。同時にこれは、実費は施主(政府)が持つのだから、コスト超過のリスクを請負業者がかぶらない、という構造でもあります。この「実費精算(コストプラス)」という考え方は、この連載でこの先ずっと効いてきます。固定価格で巨大リスクを丸呑みした会社が次々に死んでいく一方、実費精算を好んだ会社が生き延びていく——その分岐点の原型が、戦争の非常時にこうして敷かれていました。世界を変えた兵器の、その建屋と配管とコンクリートは、すべて民間ゼネコンとエンジニアリング企業の手によるものだったのです。
この契約の話は、規模こそ違え、町場の請負にもそのまま通じます。前例のない、見積もりの立てようがない仕事を、それでも「一式いくら」で請けるのか、それとも「かかった分をいただく」形にするのか。誰が不確実性のリスクを負うのかで、同じ工事でも会社の生き死にが変わってきます。国家的な非常時に、あの巨大なデュポンですら「原価+報酬1ドル」という形——つまり儲けを取らない代わりに、読めないコストのリスクも負わない形——を選んだ。この一事は、見積もれないものをどう請けるかという、建設業の永遠の問いへの、一つの答えでもあります。安請け合いの固定価格がいかに危ういかは、この連載の後半で、名門たちの死という形で嫌というほど出てきます。
テキサスのBrown & Rootにとっても、戦争は飛躍の舞台でした。前回、ハーマン・ブラウンとジョージ・ブラウンの兄弟が、見返りの不確実な政治家に賭けることを厭わなかった、という話をしました。その「投資」が、ここで実を結びます。
彼らが早くから資金を提供していた相手が、新人の下院議員リンドン・ジョンソン——後の大統領です。まだ海のものとも山のものともつかない若い政治家に金を張るのは、その時点では明らかにリスクの高い賭けでした。ところがジョンソンが政治的に力をつけていくと、その見返りのように、ブラウン兄弟はコーパスクリスティ海軍航空基地という巨大工事を獲得します。海軍基地を造った経験がほとんどないにもかかわらず、です。ここで起きているのは純粋な技術競争ではありません。政治との関係が仕事を運んでくる、という力学です。以後、Brown & Rootはジョンソンの生涯にわたる「政治資金マシン」となり、ジョンソンは連邦の工事をブラウン兄弟に差配し続けます。金が票を生み、票が工事を生み、工事がまた金を生む。この循環は、歴史家ロバート・カロによる浩瀚なジョンソン伝で徹底的に描かれ、米国政治史における請負業者と政治家の結託の、最も有名なケーススタディになりました。前回のクレディ・モビリエ事件から続く「建設と政治の癒着」という主題が、ここで一人の大統領と一つの会社に凝縮されていきます。
誤解のないように付け加えておくと、私はこの癒着を手放しで称賛したいわけではありません。むしろこの連載を通して繰り返し見えてくるのは、公共工事という巨大な富の分配が、しばしば技術や実績ではなく政治的な関係で決まってきた、という米国建設業の影の部分です。ただ同時に、ブラウン兄弟が下したのが、経験のない分野へ「関係」という無形の資本で参入する賭けだった、という事実からは、目をそらすべきではないとも思います。実績がないところへどう食い込むか。彼らが選んだ答えの是非はともかく、仕事は技術だけで決まるとは限らない、という冷徹な現実は、規模を問わずこの産業に通底しています。
戦争はまた、建設労働者を文字通り最前線に立たせました。前回フーバーダムで登場したモリソン・クヌーセン——創業者ハリー・モリソンが後に「地球の表面を、生きているどの人間よりも変えた男」と評された、あの会社です——の作業員1,000人以上が、太平洋のウェーク島で基地を建設している最中に日本軍の攻撃を受け、捕虜となりました。彼らは兵士ではありません。ヘルメットをかぶって工事をしていた民間の建設労働者が、そのまま戦火の中に置かれ、捕虜収容所へ送られたのです。
請負業者が、後方の工場だけでなく戦場のただ中にまで入り込んでいたこの時代は、後にベトナムで、そしてイラクで反復されることになる「戦争の民間委託」の、最初の本格的な形でした。国家が担うべき最も過酷な事業の実行部分すら民間が引き受ける——請負業者の国の行き着く先を、この島の千人が身をもって示しています。この論点は次章のベトナム、そしてこの連載の後半でまた戻ってきます。
戦争が終わると、米国建設業はまぎれもない黄金時代に入ります。戦後の四半世紀、需要は少なくとも四つの方向に同時爆発しました。州間高速道路、郊外住宅、原子力、そして中東です。共通するのは、その源のほとんどが国家の政策的な意思だった、という点です。政府が高速道路網を造ると決め、復員兵に住宅ローンを保証すると決め、原子力を推進すると決め、中東の同盟国とオイルマネーの回路を築いた。その一つひとつが、それに対応する会社を時代の主役に押し上げていきます。順に見ていきます。
第一の波は、州間高速道路です。1956年、アイゼンハワー大統領は連邦補助高速道路法に署名し、総延長約6.6万km、当時としては史上最大の公共事業となる州間高速道路網の建設が始まりました。この国家的決断の裏には、大統領自身の二つの原体験があります。彼は若い陸軍士官だった時代に、米大陸を車列で横断する試みに参加し、当時の米国の道の悪さに散々苦しみました。そして後年、司令官として見た戦時ドイツのアウトバーン——軍隊と物資を高速で動かせる自動車専用道路網——に強い感銘を受けます。悪路の記憶と、敵国の優れた道路網の記憶。この二つが、平時における巨大な道路投資へと結晶したわけです。国防の論理が民生のインフラを生む、というのも米国らしい経路です。
この途方もない土工需要——つまり大地を削り、盛り、均していく仕事——を最も貪欲に捉えたのが、オマハに本拠を置くPeter Kiewit Sons'でした。前回、1884年にオランダ移民の煉瓦職人キーウィット兄弟がオマハで創業した会社として名前だけ出ていましたが、その会社がここで主役級に躍り出ます。Kiewitは全米の高速道路・ダム・橋梁を次々に手がけ、やがて「ハイウェイ王」と呼ばれる存在に成長しました。国家が敷いた巨大な公共事業の波に、最も的確に乗った会社です。総延長約6.6万kmという規模は、一社が独占できるものではありません。無数の区間に分かれた工事を、全米の業者が奪い合う。その熾烈な入札競争を、Kiewitは規律ある見積もりと堅実な施工で勝ち抜いていきました。派手な一発ではなく、地味な土工の積み重ねで頂点に立つ——後で触れる同社の禁欲的な社風は、この時期の戦い方の中で鍛えられたものだと私は見ています。
このKiewitには、米国資本主義史と交差する有名な逸話があります。オマハの同社本社ビル「Kiewit Plaza」には、1962年からウォーレン・バフェットの投資会社バークシャー・ハサウェイが入居し、半世紀以上もそこを本拠にし続けました(出典:CNBC)。世界最大級の投資会社が、米最大級のゼネコンの建物に、長年ずっと間借りしていたのです。地味なインフラ会社の本社ビルが、世界で最も有名な投資家の司令塔でもあった、というのは示唆に富む取り合わせだと思います。
しかしKiewitの本当の凄みは、間借り人ではなく、その所有の仕組みのほうにあります。創業者ピーター・キーウィットは、独特の「従業員所有制」を設計しました。社員が自社の株を持ち、退職するときには会社にそれを売り戻す。株は社外に出ていかず、常に「いま働いている社員」の手の中で回り続ける。だからこの会社は、米最大級のゼネコンでありながら、株式を一切上場していません。株式市場に上場すれば、四半期ごとに「今期の利益は」と外部の株主から迫られます。ところが建設業は、何年もかけて巨大な構造物を造り、景気の波に激しく晒される産業です。三か月ごとの成績表を求めるリズムと、数年がかりの工事のリズムは、そもそも根本的に相性が悪い。上場しないという選択は、この相性の悪さから会社を切り離すための、意図的な設計でした。四半期の圧力から自由であること——これが景気変動の激しいこの産業で長く生き残る秘訣のひとつだと、Kiewitはその存続そのもので体現しています。この「所有の設計が会社の寿命を決める」という論点は、連載の最終盤で改めて中心テーマになります。
第二の波は、郊外住宅です。1947年、ニューヨーク郊外のジャガイモ畑に、ウィリアム・レヴィットが「レヴィットタウン」を出現させました。彼がやったことは、思想としてはカイザーの造船と同じです。すなわち、住宅建設を26の工程に分解したのです。ふつう家は、一軒ごとに大工や職人がひと通りの作業を全部こなして造ります。レヴィットはこれを逆さにしました。基礎打ちならその専門チーム、壁ならその専門チーム、というように工程ごとにチームを分け、そのチームが家から家へと移動しながら、自分の担当工程だけをひたすら繰り返す。工場のラインが動くのではなく、家という「製品」が地面に固定されているぶん、職人のほうが移動する——いわば現地に敷いた流れ作業です。
さらに彼は、建て方そのものも合理化しました。地面を深く掘って基礎を打つのではなく、厚いコンクリートの板を地面に敷いてその上に建てる。使う部材はあらかじめ規格化しておく。こうして、驚異的な速度と低価格で、核家族向けの戸建てを次々に量産していきました。レヴィットが「住宅業界のヘンリー・フォード」と呼ばれたのは、まさにこの流れ作業と規格化ゆえです。ここでも、技能を人の腕から段取りと規格の側へ移し替える、という同じ発想が働いています。
そしてこの郊外化を、二つの制度と技術が強力に後押ししました。ひとつはGIビル(復員兵援護法)による低利の住宅ローンです。戦争から帰ってきた大量の若い元兵士たちが、これで家を買える立場になった。もうひとつが、自動車と、先ほどの州間高速道路です。都心から離れた郊外に住んでも、車で高速に乗れば通える。買い手(復員兵)と、買える仕組み(低利ローン)と、通える足(車と高速)が同時に揃った。四つの波が互いを増幅し合っていることが、ここからも見て取れます。
しかし、この郊外の夢には、見過ごせない暗い裏面がありました。初期レヴィットタウンの標準の売買契約には、非白人への再販売・賃貸を禁じる条項——第25条——が含まれていたのです。つまり、この理想の郊外住宅地は、制度として白人以外を排除する設計になっていました。
そしてこれは一企業の差別にとどまりません。当時、連邦住宅局(FHA)が住宅ローンを保証する際の基準そのものが、人種によって地域を色分けし、特定の地区への融資を事実上遮断する仕組み——いわゆるレッドライニング——を前提にしていました。国の金融の仕組み自体が人種隔離を織り込んでいたのです。だから戦後の郊外の繁栄は、たまたま白人だけのものになったのではなく、構造的な人種隔離とセットで最初から設計されていた、ということになります。これは米国の住宅・都市史を語るうえで、決して省略してはいけない史実です。速さと安さを追求した工程革命の輝かしさと、その同じ仕組みに埋め込まれた排除。光と影を切り離さずに見ておきたいところです。
このレヴィットの系譜からは、やがてゼネコンとはまったく別の巨大な産業が立ち上がっていきます。規格化された家を大量に建てて「売る」会社——ホームビルダーです。Kaufman & Broad(共同創業者の一人が、後にロサンゼルスの大富豪にして大慈善家となるイーライ・ブロード)、Centex、Pulte、Lennar、そして現在の最大手D.R. Hortonへと続く系譜です。物を設計して巨大施設を建てるゼネコンと、規格住宅を売るホームビルダー。同じ「建設」でありながら、両者はここで別の川に分かれ、それぞれ別の歴史をたどっていくことになります。この分岐が後にどれほど大きな意味を持つかは、連載の後半で見ていきます。先に少しだけ触れておくと、現在の米国では、これら規格住宅を売るホームビルダーの企業価値は、伝統的なゼネコンをはるかに上回る規模になっています。巨大な構造物を設計して建てる会社よりも、標準化した家を効率よく建てて売る会社のほうが高く評価される時代が来る——その源流が、このジャガイモ畑での工程革命にありました。工程を分解し規格化するという同じ発想が、造船では戦時の量産を、住宅では戦後の量産を、そして半世紀後には産業全体の価値の重心の移動を生んでいく。一つの発想の射程の長さに、私はいつも驚かされます。
第三の波は、原子力です。1950〜60年代、「平和のための原子力」を掲げる政策の下、商業用の原子力発電所を各地に建てる建設ラッシュが起きました。核の技術を兵器ではなく発電に使う——その物理的な実行を担ったのが、ここでもベクテルと、先ほどオークリッジで登場したStone & Websterでした。彼らは全米各地に原発を設計・建設し、原子力こそが次の巨大市場になると信じて、専門の技術とノウハウをせっせと蓄積していきます。有望な新市場に早く張り込み、専門性で先行者利益を取りにいく——経営判断としては、ごく真っ当に見える動きです。ただ、この賭けが四半世紀後にどれほど苦い結末を迎えるかは、次回以降で見ることになります。有望市場への集中投資が、状況が一変した瞬間に致命傷へ反転しうること。その伏線が、黄金時代のただ中でこうして張られていました。
第四の波は、中東です。この時期、米国のE&C(設計・建設)企業は、国内の会社から真にグローバルな存在へと変貌します。その突破口を開いたのがベクテルでした。同社はサウジアラビアの国営石油会社アラムコのために、サウジの油田から地中海の岸辺まで石油を運ぶトランス・アラビアン・パイプライン(Tapline、全長約1,700km)を敷設します。砂漠を貫く1,700kmのパイプラインという、桁違いのスケールの仕事です。さらに1970年代半ばからは、ペルシャ湾岸にジュベール工業都市という、単一の現場としては人類史上最大級とされる巨大開発を、一手に引き受けました。これは工場を一つ建てるという話ではなく、港も、道路も、住宅も含む一個の都市を丸ごと造る事業で、半世紀を経た現在もなお継続しています。ライバルのRalph M. Parsons社は、紅海側でこれと対になる工業都市ヤンブーを担当しました。オイルマネーという新しい富の源泉が、米国の建設会社を、一気に世界を股にかける企業へと押し上げたのです。前回まで西部やテキサスの土工屋だった会社が、砂漠の彼方で国家規模の都市を造る——需要の在り処が変われば、会社の姿もここまで変わる、という好例です。
原子力と中東、この二つの波には、共通する経営の教訓が潜んでいます。どちらも当時は「次に来る巨大市場」でした。ベクテルもStone & Websterも、そこに専門性を張り込むことで先行者になろうとした。専門特化は、需要が続く限りは強い武器です。深いノウハウを持つ会社にしか務まらない仕事は、価格競争から守られ、利益も厚い。ところがその強みは、市場そのものが消えた瞬間に、行き場のない重荷へと反転します。原子力に賭けた会社がその後どうなったかは次回に譲りますが、ここで押さえておきたいのは、「有望市場への集中」と「一本足打法の危うさ」が実は同じことの表と裏だ、という点です。何に強くなるかを選ぶことは、同時に、何と運命を共にするかを選ぶことでもある。町場の会社が得意分野を絞るときにも、忘れずにおきたい視点です。
黄金時代は、工事のやり方そのもののイノベーションも生みました。ニューヨークの世界貿易センター(1966〜73年)の施工を統括したTishman社は、ここで「コンストラクション・マネジメント(CM)」方式を本格的に確立します。それまでの標準は、まず設計図をすべて完成させ、それが出来上がってから工事一式を一括で発注する、という順序でした。しかしTishmanは、設計の完成を待たずに着工し、設計と施工を並行して走らせながら、その全体のコストと工程を専門的に管理していったのです。設計が固まる前から掘り始め、決まったところから順に建てていく。これにより、超高層のような巨大プロジェクトを、従来方式よりも大幅に速く進められるようになりました。この考え方は以後、大型建築の標準的な進め方になっていきます。工程を直列から並列へ組み替えるという、この連載で何度も出てくる発想が、ここでは巨大建築のマネジメントの形をとって現れています。
公共交通の分野でも、時代を画す仕事が生まれました。サンフランシスコ湾岸の新しい交通システムBART(1964年着工)です。これを、1885年創業でかつてニューヨーク地下鉄を設計した名門Parsons Brinckerhoffと、ベクテルらのJV(共同企業体)が手がけました。戦後初の本格的な都市鉄道として大きな注目を集めた事業で、名門エンジニアリング会社と巨大ゼネコンが組んで都市の足を造る、という戦後インフラの一つの典型です。
そして、この黄金時代にも戦争の影が差します。ベトナム戦争が、再び建設業を戦場へ送り込みました。米軍が必要とした膨大な基地・港湾・飛行場の建設を担ったのが、RMK-BRJと呼ばれる4社連合です。構成はRaymond International、Morrison-Knudsen、Brown & Root、J.A. Jonesの四社。ウェーク島で捕虜になったモリソン・クヌーセンも、政治との癒着で伸びたBrown & Rootも、ここに顔を揃えています。彼らは南ベトナムの軍事インフラの大半を築き上げました。しかしそのなかでBrown & Rootは、高まる反戦運動のなかで「戦争で儲ける企業」の象徴として激しい批判を浴び、社名をもじって「Burn & Loot(焼いて略奪する)」と揶揄されるまでになります。戦争の民間委託が、今度は国内世論の反発という形で跳ね返ってきたわけです。
もっとも、Brown & Rootが担ったのは軍事施設だけではありません。同社は、ジョンソンが自身の地元ヒューストンに誘致したNASAの有人宇宙センターの建設も手がけました。月を目指す壮大な宇宙開発——その地上の拠点すら、テキサスの政治と建設の結託が生み出した産物だった、ということです。前線の基地から宇宙センターまで、一つの会社と一人の政治家の関係が、これほど広い範囲の国家事業に食い込んでいた。第4章で見たBrown & Rootとジョンソンのケーススタディは、この黄金時代の終わりまで、そのまま続いていました。
ここまで見てきた黄金時代の四つの波を、あらためて並べてみると、一つの構図が浮かびます。高速道路のKiewit、郊外住宅のレヴィットとホームビルダーたち、原子力と中東のベクテル・Stone & Webster・Parsons、そして軍事とインフラのBrown & Root。どの会社も、自分でその需要を生み出したわけではありません。国家が政策として大きな川の流れを作り、それを最も的確に読み、最も貪欲に乗った会社が、その川の主になっていった。裏を返せば、川の向きが変われば、主の座も入れ替わるということです。黄金時代は永遠には続きません。次回は、その川の流れが一斉に変わる1970年代——石油危機、脱組合化、そして原発市場の凍結——を見ていきます。栄光の頂点は、しばしば次の転落の始まりでもあります。

①工程の分解は、人手不足への最強の処方箋だった。今回は、まったく違う三つの現場で、同じ一つの発想が繰り返されました。カイザーは船を一隻も造ったことのないまま、溶接とブロック工法で造船を工程に分解し、未経験者と大量の女性工員を即戦力に変えました。レヴィットは家づくりを26の工程に分解し、職人が家から家へ移動する流れ作業で住宅を量産しました。TishmanはCM方式で設計と施工を並列に走らせ、巨大建築を速めました。共通するのは、技能を人の腕から段取り・道具・規格の側へ移し替えるという一点です。「熟練工がいない」と嘆く前に、「熟練を要求している工程そのものを設計し直せないか」と問う。人手不足に苦しむ今の日本の現場に、これほど素直に響く教訓もないと思います。
②所有の設計が、会社の長寿を決める。従業員所有で上場しないキーウィットが、四半期の株主圧力と無縁のまま、半世紀以上にわたってトップクラスであり続けている。何年もかけて構造物を造り、景気に激しく揺さぶられるこの産業のリズムと、三か月ごとの成績を求める株式市場のリズムは、根本的に相性が悪い。誰が株を持ち、その利益を誰が求めるのか——所有の設計は、会社の性格そのものを、そして寿命を決めます。規模を追う前に、「自分の会社は、どんな時間軸で評価される所有構造になっているか」を一度考えてみる価値があります。
③国家の支出が、時代の主役を決める。高速道路も、郊外住宅(を支えたローン保証)も、原子力も、中東への進出も、その需要の源をたどれば、ほとんどが政府の政策的な意思でした。連邦が何にお金を使うと決めるか。その波頭に、たまたまではなく意図して乗った会社が、時代の主役になっていきました。今の日本でも、公共投資や政策の方向は、町場の会社にとって最大の追い風にも向かい風にもなります。目先の一件だけでなく、「国と自治体が次にどこへお金を向けるのか」を読む目を持つこと。それが、黄金時代の勝者たちに共通していた眼差しでした。
次回(4)は、この黄金時代の終わりです。ベクテルの幹部が国務長官と国防長官になった「影の政府」、建設現場の脱組合化、そして原子力に賭けた名門たちが次々に倒れていく再編の時代を見ていきます。
株式会社コンクルー 代表取締役 白澤光純
※本連載は通史的な読み物です。特に古い時代の数値や「史上最大」「最速」といった記録には、資料により幅があります。