この記事は約10分で読めます。
.png&w=3840&q=75)
監督者:白澤光純
株式会社コンクルー 代表取締役CEO
この投稿をシェアする
2050年の職人は全員すでに生まれ、2040年に老いる橋はすべて架かっている——建設の未来には「見えている」部分が異例に多い。人口・ストックの寿命・気候という動かない三つの力から、次の50年の建設業を描く最終巻、第1回です。
AI搭載
コンクルーAI
顧客管理・見積作成・原価管理・電子受発注・請求支払いなど全ての業務がコンクルーAIひとつで完結

米国・日本・中国・ヨーロッパの各編で「建設業がどう生まれ、どう今に至ったか」を描き、総論「建設と人類史」で、建設が文明の原因そのものだったことを論じてきたこの連載。最終巻にあたる本編は、視線を反転させます——これから50年、建設はどこへ行くのか。
過去を語るときと、未来を語るときとでは、書き手の足場がまるで違います。歴史は、少なくとも史料と遺構という検証の頼りがある。ところが未来には、それがありません。だから未来を論じる文章の多くは、願望か恐怖のどちらかに寄ってしまう——技術がすべてを解決するというユートピアか、機械が人を追い出すというディストピアか。私はそのどちらの調子も避けたいと思っています。町場(まちば)の中小建設会社を経営していると、明日の現場が回るかどうかという足元の重さから、遠い未来の話へ気楽に飛ぶことはできないからです。
最初に、方法について正直に書いておきます。未来は歴史と違って検証できません。しかし建設の未来には、他産業より「見えている」部分が異例に多いのです。2050年に働く職人は全員すでに生まれており、2040年に寿命を迎える橋はすべてすでに架かっており、気候の慣性は今後20〜30年分についてはほぼ確定しています。SF作家ギブスンの言葉を借りれば、「未来はすでにここにある。ただ均等に行き渡っていないだけ」——秋田の山中では無人の重機群が既にダムを打設しており、シンガポールでは国民の8割が公共住宅に住み、フランスの建設会社は利益の過半を空港運営で稼いでいます。ここで名前を挙げた三つの光景は、いずれも「まだ来ていない未来」ではなく、「すでに来ているのに、まだ広がっていない現在」です。無人化された土工、住宅を公共財として供給する国、造る会社から運営する会社へ変わった建設業——それぞれが、この連載で追ってきた各国の歴史の延長線上にある、現時点での最先端です。本編はこの原則に立ち、①ほぼ確定した力(人口・ストックの寿命・物理法則)、②現在進行中の技術と制度、③分岐するシナリオ、の三層を区別しながら、次の半世紀を描きます。断定調で書く箇所も、人口動態などを除けば、本質的には「確度の高い見通し」であることを、冒頭に明記しておきます。

出発点として、連載全体が到達した2020年代半ばの現在地を、三つの逆説として要約します。逆説と呼ぶのは、どれも「常識の逆」に見えて、しかし数字を追えば当然の帰結だからです。この三つを腹に入れておくと、次章以降で扱う「確定した未来」が、なぜ確定していると言えるのかが見通しやすくなります。

第一の逆説。人類は史上最大の建設需要を前にして、史上最悪の担い手不足にあります。世界の都市人口は2050年までにさらに20億人以上増える見通しで、ある試算によれば、必要な床面積の増加は「40年間、毎月ニューヨーク市を一つずつ建て続ける」規模に相当します。この「毎月ニューヨーク一つ」という比喩は誇張のための誇張ではなく、増える都市人口を今日並みの居住水準で受け止めようとすれば、それだけの床が要るという素朴な算数から出てきます。ところが建てる側では、日本の技能者の3人に1人以上が55歳を超え、米国は毎年数十万人規模の労働者不足を訴え、中国の農民工は平均年齢43歳を超えて若者の現場離れが進む——主要建設国のすべてで、需要と担い手が逆方向に走っています。
この担い手不足は、景気の波のような一時的なものではありません。米国では建設労働者の約4人に1人が外国生まれで、移民の流入が細れば現場は即座に痩せます。日本では建設就業者がピークから3割ほど減り、そのうえ55歳以上が3割を超える一方、29歳以下は1割程度という、世代の断層とも言うべき年齢構成になっています。上の世代が引退すれば、その穴を埋める若手がそもそも人数として足りない。人を増やして解決する時代は、少子高齢化という土台のところで、構造的に終わっているのです。町場の経営でこの数字が意味するのは単純で、「募集をかければいずれ人は来る」という前提を、そろそろ捨てる覚悟が要る、ということです。
興味深いのは、この不足が世界中でほぼ同じ顔をしていることです。きつい・危険・不安定というイメージ、屋外での重労働、天候に振り回される不規則さ——これらは国境を越えて、若者を現場から遠ざける共通の理由になっています。中国の農民工が高齢化し、その子ども世代が都市のサービス業や工場を選ぶのも、根は同じです。かつて建設は、学歴や資格がなくても腕一本で身を立てられる、社会の受け皿のような産業でした。その受け皿に、若い水が流れ込まなくなっている。だからこそ、担い手不足への答えは「もっと集める」だけでは足りず、「一人ひとりの働きを、どう軽く・安全に・報われるものにするか」という、現場そのものの造り替えへ向かわざるを得ません。
第二の逆説。建設は人類最古の産業でありながら、デジタル化が最も遅れた最後の巨大産業として、いま最も大きな伸びしろを持っています。楔形文字の労務台帳から4000年、この産業の情報は紙と電話と現物合わせで流れ続け、生産性は半世紀横ばいでした。これは経済学者を長く悩ませてきた難問で、「建設生産性のパラドックス」と呼ばれます。戦後、製造業の労働生産性が技術革新で何倍にもなったのに対し、建設業のそれは1960年代からほとんど伸びず、統計によっては低下すら指摘される。理由は建設という仕事の本質にあります——一品ごとのオーダーメイド、屋外で天候に左右される、無数の専門業者がプロジェクトごとに離合集散する、現場ごとに条件が違う。工場のように同じものを繰り返せない「断片化」こそが、標準化と自動化を阻んできた根っこでした。その「最後の未電化地帯」に、クラウドとAIがようやく届き始めた——各国編の結論だった「断片化した産業を情報で繋ぐ」という勝ち筋が、次の50年の主旋律になります。伸びしろが大きいというのは、裏を返せば、これまでが遅れていたということでもある。遅れていた者にしか手にできない伸びが、いま目の前にあります。もっとも、遅れの原因が仕事の本質にある以上、他産業の成功をそのまま持ち込めば解決する、という単純な話ではありません。工場は環境を完全に制御できるからこそ自動化が効いた。建設現場は、雨も降れば地面も凸凹で、隣で別の業者が動いている。この「制御しきれなさ」を受け入れたうえで、それでも情報を通わせる方法を見つけること——そこに、この産業ならではの難しさと面白さがあります。
第三の逆説。人類は「建てたものの重さが全生物の重さを超えた」惑星(人類史編参照)で、なお建て続けなければならない一方、初めて本気で「建てない・減らす・保つ」ことを産業の中心に据えようとしています。造る建設から、保ち・作り替え・時に畳む建設へ。人類が地表に積み上げてきた人工物の総量が、地球上の全生命の重さを上回ったという事実は、私たちがもう「まっさらな土地に一から建てる」時代を離れつつあることの象徴です。これからの建設の多くは、すでに建っているものの隣で、あるいはその上で、時にそれを壊しながら行われる。この重心移動は、成熟国ではすでに始まっており、日本はその世界最先端の実験場です。人口が減り、既存ストックが老いる国が、世界に先んじてこの局面に入る——それは苦境であると同時に、世界がいずれ通る道を先に歩く立場でもあります。「建てない・減らす・保つ」を早くから真剣に問わざるを得なかった国が、その問いへの答えを世界より先に見つけられるなら、それは輸出できる知恵になる。この連載を通じて私が繰り返し戻ってくるのは、この「先に老いる国の役得」という視点です。
この三つの逆説は、それぞれ別々の話に見えて、実は一本の糸でつながっています。史上最大の需要(第一)に、半世紀停滞したままの生産性(第二)で応えようとすれば、当然どこかで無理が来る。その無理を、これまでは人手でねじ伏せてきました。しかしその人手こそが、いま最も足りない。そして応えるべき需要の中身が、新しく造るものから、老いたものを保ち・畳むもの(第三)へと移っていく。三つの逆説は、「足りない人手で、伸びない生産性のまま、変質する需要に応える」という一つの難題の、三つの側面なのです。
以下の各回は、この三つの逆説がどう解かれていくか(あるいは解かれないか)の物語です。

未来予測の土台には、ほぼ動かない三つの力があります。人口、ストックの寿命、そして気候。この三つに共通するのは、いずれも「今日の意思決定でひっくり返せない」という性質です。政策や景気は変えられても、すでに生まれた人の数や、すでに架かった橋の齢、すでに大気に溜まった二酸化炭素の慣性は、動かせません。だからこそ、未来を語るときの最も硬い足場になります。
第一に、人口動態。国連の見通しでは、世界人口は2080年代に約103億人でピークを迎えます。しかし建設にとって重要なのは総数ではなく分布です。同じ「人が増える」でも、どこで、どの年齢層が増えるかで、必要になる建設はまるで違う。今後の人口増の大半はアフリカ(2050年に約25億人)と南アジアに集中し、都市人口は2050年までに世界で約68%へ——つまり、21世紀後半の「建設の主戦場」がアフリカとインドになることは、ほぼ確定しています。爆発的に増える都市人口を受け止める住宅・上下水道・道路・電力網を、これらの地域がどれだけ速く、どれだけ健全に建てられるか。それが今世紀後半の世界の風景を決めます。問題は「誰がそれを建て、誰の利益になるか」です。かつて欧米が、そして日本や中国が通ってきた急速な都市化の道を、次はどの国の技術と資本が担うのか——ここには、建設をめぐる国際的な力学が絡みます。
この南への需要移動は、単なる床の量の話にとどまりません。アフリカやインドの都市化は、欧米や日本がかつて100年かけて通った過程を、はるかに短い時間で駆け抜けようとしています。しかも、先に都市化した国々が積み上げた失敗——地盤を無視した開発、追いつかないインフラ、災害への脆さ——を横目に見ながら進む。うまくいけば、先人の教訓を織り込んだ賢い都市化になり得るし、資本と技術が偏れば、脆いまま膨れ上がる危うさもはらむ。どちらに転ぶかは、まさに「誰が建てるか」にかかっています。
一方、東アジアと欧州では生産年齢人口の減少が確定しており、日本の建設技能者は2040年に向けて大幅に不足するとの推計が繰り返し示され、韓国・中国・ドイツ・イタリアが時差をおいて同じ崖に向かいます。人口減少は「静かな津波」で、来ることも、いつ来るかも、かなりの精度で分かっているのに、日々の暮らしの中では実感しにくい。だからこそ準備が遅れがちになります。「需要は南へ、担い手はどこにもいない」——これが与件です。町場にとってのこの与件の意味は、遠い世界情勢の話ではありません。数年後、十数年後に自社の主力職人が抜けたとき、その席を埋める人がそもそも社会全体で足りない、という近い将来の話です。だから「誰に、どんな技術を、どう引き継ぐか」を、余力のあるうちに考え始めるだけの価値があります。
第二に、ストックの寿命。インフラは物理法則に従って老います。コンクリートは中性化し、鉄筋は錆び、継手は緩む——人の意思とは無関係に、時間が過ぎれば劣化は進みます。日本では2033年に道路橋の約6割が建設後50年を超え、高度成長期の上下水道・トンネル・学校が2030〜40年代に一斉に更新期を迎えます。この「50年」という節目が重くのしかかるのは、日本の主要インフラの多くが、1960〜70年代の高度成長期という短い時期に集中して造られたからです。同じ時期に生まれたものは、同じ時期に老いる。だから更新の波も、なだらかにではなく、まとまった山として襲ってきます。
この「まとまった山」という性質は、経営にとって厄介であると同時に、見通しやすさでもあります。いつ、どの構造物が更新期に入るかは、竣工年から逆算すればおおよそ分かる。つまり修繕需要は、他の多くの市場と違って、かなり先まで時期の目星がつくのです。橋や水道管の齢は、担当地域ごとに台帳をたどれば見えてくる。どの自治体の、どの路線が、いつ大規模な手入れを必要とするか——その地図を早く描いた者から、静かに準備を始められます。
米国も事情は似ています。米国土木学会(ASCE)が数年ごとに発表する「インフラ通信簿」——橋や水道やダムを学校の成績表のようにAからFで採点する取り組み——は長年D評価が続き、近年ようやくC評価に戻した段階です。裏を返せば、世界最大級の経済大国でさえ、自国のインフラを「かろうじて及第点」までしか維持できていないということです。造ることには熱心でも、造ったものを保ち続けることには、どの国も同じように苦労している。新設は華やかで政治的にも票になりやすい一方、維持修繕は地味で、票にも記事にもなりにくい——その非対称が、世界中でインフラを静かに老けさせてきました。中国は2008年以降に爆造した高速鉄道・高速道路・膨大なマンション群の「第一次大規模修繕期」を2030年代に迎えます。新品に見えるあの巨大ストックも、造った瞬間から老い始めている——世界史上最大の建設ブームは、世界史上最大の維持修繕ブームを、約束手形として発行済みなのです。多くの先進国で、維持・更新投資が新設投資を恒常的に上回る「ストック優位」への転換は、意思の問題ではなく算術の問題です。橋の齢は交渉できません。だからこの市場は、景気に左右されにくい、構造的で息の長い需要になります。町場の目線で言えば、点検・補修・改修という仕事は「新築が取れないときの穴埋め」ではなく、これからの本流になり得る——そう捉え直すだけの根拠が、この数字にはあります。しかも維持修繕の仕事は、新築とは求められる腕が少し違います。造られたときの図面がない、内部がどうなっているか開けてみないと分からない、使いながら直さねばならない——こうした条件のもとで、傷んだ箇所を見立て、限られた予算で優先順位をつけ、地域の事情に合わせて手を入れる。これは規格化しにくく、経験と目利きがものを言う領域です。大手が一律のやり方で攻めにくいぶん、地域に根ざし、そのインフラを長年見てきた町場の会社にこそ、強みが残りやすい。老いるストックの時代は、地元の技術者にとって、一方的な逆風ばかりとは限らないのです。

第三に、気候。今後20〜30年の温暖化の相当部分は過去の排出で既に決まっており、海面上昇・豪雨・熱波・山火事への「適応」は、選択肢ではなく確定した工事量です。ここで大事なのは、「これから排出をどれだけ減らすか」という緩和の議論とは別に、「すでに溜まった分がもたらす変化に、どう備えるか」という適応の工事が、もう避けられないという点です。仮に明日、世界中の排出がゼロになったとしても、これまでに大気へ溜まった二酸化炭素の慣性で、当面の気候変動はある程度進む。その進む分に対して、堤防を上げ、排水を強め、街の造りを変える——それは政治的な選択の前に、確定した仕事量として存在します。
すでに世界の各地で、その工事は始まっています。ジャカルタは地盤沈下と海面上昇で首都機能の移転(ヌサンタラ)を始め、都市そのものを別の土地へ移すという桁外れの建設に踏み出しました。ヴェネツィアは、潟の入口に並べた巨大な板を、高潮のときだけ空気で持ち上げて海を堰き止める可動堰MOSEを2020年から実戦投入し、千年を超える水の都を守り始めています。ニューヨークはマンハッタン南端に、ふだんは公園として使いながら高潮時には防潮の壁になる「防潮公園」を築いています。守り方は土地ごとに違いますが、いずれも「気候が変わった前提で、街を造り直す」という同じ方向を向いています。
これらの適応工事に共通するのは、いずれも「これまでの設計基準では守れない」という認識から出発している点です。堤防や排水路や橋は、過去の気象データをもとに「この程度までは耐える」という前提で造られてきました。その前提そのものが揺らいでいる。だから適応とは、単に古いものを新しく造り直すのではなく、想定する外力そのものを引き上げて造り替える営みになります。MOSEのような巨大な仕掛けから、町なかの小さな排水桝の見直しまで、規模はさまざまでも、根にある問いは同じ——「これまでの前提で、これからも大丈夫か」です。
そして適応の最終手段——「計画的撤退(managed retreat)」、つまり住む場所を諦めて移す建設——が、フィジーの村落移転や米ルイジアナの集落移転で、既に始まっています。守りきれない土地からは、人ごと移す。これは建設という営みが、初めて本気で「造らない・畳む」ことを引き受け始めた瞬間でもあります。撤退という言葉には敗北の響きがありますが、実際にはこれも高度な建設事業です。移転先の造成、住まいの再建、慣れ親しんだ地域社会をどう保ったまま動かすか——技術だけでなく、人の暮らしと感情に踏み込む、最も難しい建設のひとつです。防潮堤を築く建設と、街を畳む建設。その両方が、21世紀後半の公共事業の二本柱になります。日本もまた、豪雨災害の激甚化と沿岸の脆弱さを抱える国として、この二本柱の当事者です。町場の現場でも、これまで「百年に一度」とされた雨が数年おきに来る前提で、排水や擁壁や地盤を見直す仕事が、静かに増えていくはずです。
この三つの与件から、本編の基本命題が導かれます。次の50年の建設業の中心課題は、「より多く建てる方法」ではなく、「より少ない人間で、より少ない炭素で、増え続ける需要と老い続けるストックに応える方法」である。言い換えれば、これまでの建設が問うてきた「どう速く、どう安く建てるか」という問いの上に、「どう少ない人と炭素で、すでにあるものを保ちながら建てるか」という新しい問いが重なる、ということです。この命題が重要なのは、それが技術選びの物差しになるからです。これから登場する数々の新技術を評価するとき、「派手かどうか」「最先端かどうか」ではなく、「少ない人手と炭素で、増える需要と老いるストックに応えるのに役立つか」で測ればよい。物差しが定まっていれば、流行に振り回されずに済みます。続く各回は、その解の候補——機械、工場、情報、金融、そして「建てない」という選択——を順に検討していきます。いずれも万能の特効薬ではなく、それぞれ得意な場面を持つ道具として、冷静に値踏みしていくつもりです。
①未来の大部分は、すでに決まっている。2050年の職人は全員生まれており、2040年に老いる橋は全部架かっている。自社の10年後を考えるときも、まず「動かない数字」から始めるのが確実です。景気や流行は読みにくくても、人口構成や自社の職人の年齢、担当地域のインフラの齢は、今日の時点でかなり見えている。その見えている土台の上に計画を立てるのが、遠回りに見えて着実です。②ストック優位への転換は算術である。維持・修繕・改修は「新築が取れないときの仕事」ではなく、構造的な成長市場です。橋やトンネルや水道は、誰かが決断しなくても勝手に老いていく。だから点検・補修の需要は、景気の波を越えて長く続きます。③人手不足は与件であって、待っても解消しない。少子高齢化という土台が動かない以上、人手不足は「いずれ楽になる困りごと」ではなく「前提として付き合う条件」です。だからこそ次回見るように、賃金・外国人材・機械化のすべてが同時に動きます。どれか一つの特効薬ではなく、複数を組み合わせて凌ぐ時代に入ります。
次回(2)は、労働と生産の未来。「職人の最後の世代が、機械の最初の教師になれる15年」の話と、170年間跳ね返されてきた「建設の製造業化」の三度目の挑戦です。技術そのものより、その技術を「誰が、どう使いこなすか」に光を当てたいと思います。
株式会社コンクルー 代表取締役 白澤光純
※本編は歴史ではなく「見通し」を扱います。統計・制度は2026年前半時点の情報に基づきます。事業判断には最新の一次情報のご確認をおすすめします。