シルバー・ブリッジ、笹子トンネル、モランディ橋。橋はなぜ、予兆がありながら突然落ちるのか。崩落事故に共通する構造と、事後保全から予防保全へと進む維持の科学、そして「保つ人」が足りないという現実まで。町場の建設会社を経営する立場から、静かな仕事に光を当てます。
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前回、私は「更新こそ永続」という思想について書きました。伊勢神宮が20年ごとの建て替えで千三百年を生き延び、ジェンネの人々が毎年泥を塗り直し、アンデスの村人たちが毎年草の吊橋を編み直す。物質を永遠にするのではなく、更新の反復を制度にすることで永続する——そういう文明の作法があるという話でした。そして、なぜ人類が維持をこれほど軽んじてきたのか、その根っこに四つの非対称(政治・会計・時間・物語)があることも書きました。
今回は、その続きです。ただし、うんと重い続きです。維持を怠るとどうなるのか。その最も残酷な答えから始めなければなりません。というのも、維持の思想は、歴史上いつも同じ形で立ち上がってきたからです——人が死んだ後に。
私は建設業向けのソフトウェアを作る会社を経営しています。日々向き合っているのは、崩落事故のような巨大な悲劇ではなく、町場の中小建設会社の、ごく普通の現場です。それでも、この維持の話は他人事ではないと感じています。理由は最後に書きます。まずは、事実を正確に見ていきましょう。
前置きとして、ひとつだけ。ここで振り返る事故は、いずれも「造れなかった」から起きたのではありません。むしろ逆で、見事に造られ、何十年も人々を運び続けた立派な構造物でした。造ることには成功した文明が、保つことでつまずく——前回のアンコールの話が、規模を変え、時代を変えて、何度も繰り返されるのです。維持を軽んじる四つの非対称が、最も残酷な形で表に出るのが、この崩落という現象だと言ってもいいと思います。

いくつかの事故を、順に振り返ります。数字は、いずれも公表されている事実に沿って書きます。誇張も、省略もしません。維持を語るとき、死者の数を丸めることは、それ自体が一つの不誠実だと思うからです。
1967年12月15日、アメリカ・オハイオ川に架かるシルバー・ブリッジが崩落しました。クリスマス前の渋滞のさなか、吊橋のアイバー(連結棒)1本に生じた微細な亀裂が破断し、橋はごく短い時間で落ちました。46人が亡くなっています。原因は、応力腐食割れという、当時ほとんど知られていなかった現象でした。
この事故を受けて、アメリカは全米の橋を定期点検する国家橋梁点検基準(NBIS)を制定します。言い方を変えれば、アメリカのインフラ点検制度は、この46人の死から生まれました。制度は、事故の後に変わる。この後、何度も同じ言葉を書くことになります。
2007年8月1日、ミネアポリスのミシシッピ川に、州間高速道路の橋が落ちました。ラッシュアワーでした。13人が死亡し、多数が負傷しています。直接の原因は設計時のガセットプレート(部材をつなぐ鋼板)の厚さ不足でしたが、その上に補修工事の資材が積まれていたことが、最後の一押しになりました。「アメリカのインフラは崩れている」という認識が、このとき初めて政治の主題になります。
そして、私たち自身の話です。2012年12月2日、山梨県の中央自動車道・笹子トンネルで、天井板を吊っていたアンカーボルトが抜け落ち、コンクリート板が約130メートルにわたって落下しました。走行中の車両が下敷きになり、9人が亡くなっています。打音検査が近年行われていなかったこと、接着系アンカーの経年劣化についての知見が不足していたことが、後に指摘されました。
この事故が日本にもたらしたものは決定的でした。翌2013年は「社会資本メンテナンス元年」と位置づけられ、2014年からは全国の橋梁・トンネルに、5年に1度の近接目視点検が法定義務となります。日本のインフラ維持管理は、この9人の死を境に、制度として生まれ変わったのです。
2018年8月14日、イタリア・ジェノヴァのモランディ橋が突然崩落し、43人が亡くなりました。1967年に完成した斜張橋です。民営化された高速道路会社の維持管理体制と、腐食したケーブルへの警告が生かされなかった経緯が、激しい社会的糾弾を招きました。イタリアは崩落から2年足らずで新橋を開通させています。しかし、失われた命は戻りません。

これらの事故を並べて眺めると、恐ろしいほど同じ構造が見えてきます。第一に、予兆はあった。ほぼすべてのケースで、点検記録や技術者の警告が存在しました。第二に、判断は先送りされた。予算、交通への影響、優先順位——理由はいつも、もっともらしい。第三に、破局は突然だった。劣化は静かに進み、ある閾値を超えた瞬間に、一気に崩れる。第四に、制度は事故の後に変わった。
前回の連載でも引いた言葉を、ここでもう一度書きます。「建築基準は血で書かれている」。倒れた家で人が死ねば建築者を罰する、というハンムラビ法典229条から4000年が経ちました。それでも私たちは、人が死ぬ前に学ぶ方法を、まだ見つけられていません。——維持の思想史とは、この先送りと悔恨の反復の歴史なのです。
橋のように目に見える形で落ちるものばかりではありません。2014年、アメリカ・ミシガン州フリントでは、財政難の自治体が水源を切り替えた際、腐食を抑える処理を怠りました。その結果、老朽化した鉛管から鉛が溶け出し、多くの住民——とりわけ低所得層のコミュニティ——が鉛に汚染された水を飲まされることになります。子どもの血中鉛濃度が上昇し、健康被害と、行政への信頼の崩壊を招きました。
この事件が暴いたのは、維持の失敗が、最も弱い立場の人々を直撃するという事実です。橋は誰の上にも平等に落ちます。しかし、老朽インフラの被害そのものは、平等には配分されない。財政の弱い自治体、後回しにされてきた地域、声を上げにくいコミュニティ——維持を怠ったツケは、そういう場所に、先に、重く回ってくる。——維持の問題は、技術の問題であると同時に、社会正義の問題でもあるのです。
悔恨だけでは、橋は守れません。20世紀の後半から、維持は「勘と経験」の世界から、少しずつ「科学」へと変わり始めました。ここからは、その希望のほうの話です。
中心にあるのは、事後保全から予防保全へ、という発想の転換です。壊れてから直す(事後保全)のは、一見すると安上がりに見えます。まだ壊れていないものに金をかけるのは、無駄に思える。ところが、これが逆なのです。
壊れた後の修復費は、劣化が軽微なうちに手を打つ費用の、数倍から十数倍に膨らみます。橋の塗装が剥げた段階で塗り直せば数百万円で済むものが、鋼材が腐食してからでは数億円、そして落ちてしまえば、人命と数十億円。この「早く直せば安い」という、ただそれだけの単純な事実が、アセットマネジメントという学問と実務の出発点になりました。

日本の道路管理では、劣化を判定区分のⅠからⅣ(健全から緊急措置段階まで)で評価し、Ⅱ(予防保全段階)のうちに手を打つことで、生涯にわたる費用(ライフサイクルコスト)を最小化する、という考え方が定着しつつあります。予防保全型に切り替えれば、将来の維持更新費を大きく圧縮できるという国の試算もあります。維持とは、支出ではなく、未来の支出を減らすための投資である。この認識の転換が、思想としての第一歩でした。
この構図は、規模こそ違え、町場の会社の設備や車両、事務所の維持にもそのまま重なります。壊れてから慌てて更新するより、状態を見ながら計画的に手を入れるほうが、結局は安い。頭では分かっていても、目先の資金繰りの前で先送りしてしまう——巨大インフラも中小企業も、つまずく場所は同じなのだと思います。ここには、前回書いた会計の非対称も効いています。新しく買えば「資産」、直せば「経費」。同じお金でも、直すほうが帳簿の上では見栄えがしない。予防保全が算術としては正しくても、なかなか実行されないのは、この制度の癖のせいでもあるのです。
技術も、目覚ましく進化しました。打音検査のハンマー、目視の双眼鏡という世界に、いま新しい道具が次々と入ってきています。ドローンによる橋梁下面の撮影、赤外線カメラによるコンクリートの浮きの検出、ひび割れを自動で抽出する画像AI、コンクリート内部の鉄筋腐食を測る電磁波レーダー。さらに、橋に貼り付けた加速度センサーの振動データから健全度を推定する構造ヘルスモニタリング。スマートフォンを積んだ一般車両の振動から路面の劣化を推定する試みや、下水道管の中を自走するロボットも、実用の段階にあります。
これらの道具に共通するのは、これまで熟練者の目と耳と勘に頼ってきた「状態を診る」という行為を、データに置き換えていく方向です。ハンマーで叩いた音の違いを聞き分ける職人技は尊いものですが、その技は属人的で、継承も難しい。だからこそ、機械が測れるものは機械が測り、人はより高度な判断に回る——医療が問診と経験の世界から検査と画像の世界へ広がっていったのと、よく似た道筋をたどっているように見えます。
そして、次のフロンティアが予知保全(predictive maintenance)です。センサーのデータと劣化のモデルとAIを組み合わせて、「この橋は、この環境で、この交通量なら、あと何年でどの部材が閾値を超えるか」を推定し、最適なタイミングで最小の介入を行う。製造業やプラント産業で先に育ったこの思想が、いま社会インフラに降りてきています。理想の姿は明快です。——壊れてから直すのでも、決められた周期で一律に直すのでもなく、必要なものを、必要な時に、必要なだけ直す。
ここで、冷や水を一杯浴びせておかなければなりません。技術は必要条件ですが、十分条件ではありません。笹子もモランディも、技術がなかったから落ちたのではないのです。知っていたのに、実行しなかったから落ちた。
維持の最大のボトルネックは、センサーの精度ではありません。予算配分の政治であり、組織の意思決定であり、そして——ここが本当に深刻なのですが——人間の不足です。どれほど精密に診断できても、治療する人がいなければ、橋は守れない。次の章の話です。
維持には、新設とは異なる種類の労働が必要です。そして、この労働が、いま世界中で決定的に足りていません。ここは、私が経営者として最も他人事に思えない章でもあります。
まず、技術者の不足と偏在です。日本では、道路橋のおよそ7割を市区町村が管理しています。ところが小規模な自治体では、土木の技術職員が数名、あるいは一人もいない、という役場すら珍しくありません。数百の橋を、専門家のいない役場が管理している——この構造こそ、日本のインフラ維持の最大の弱点です。
国は点検を法定義務にしました。しかし、点検した結果「修繕が必要」と判定された橋のうち、実際に修繕に着手できていないものが、相当数残っています。診断はできても、治療する医者と薬代がない。維持の危機は、しばしば技術の危機ではなく、地方財政と人材の危機の姿をとって現れるのです。
次に、維持労働の地位の低さ、という問題があります。新設のプロジェクトは花形です。若い技術者は、巨大な構造物を「造る」ことに憧れます。一方で、既存の構造物の点検や補修は、地味で、汚れて、夜間作業が多く、そして何より「元通りにする」だけでは賞賛されない。
ここに、前回書いた「物語の非対称」が、こんどは労働市場の形をとって現れています。落成式にはテープカットがあるのに、点検には何もない。維持を担う人材を確保するには、賃金だけでなく、この仕事の社会的な意味づけそのものを変えていく必要があります。町場でも同じで、若手が「新築を建てたい」と憧れる一方、改修や修繕の仕事に光が当たりにくいのは、規模の大小を問わない、業界共通の宿題だと感じます。
そして、技能の継承という問題があります。高度成長期に構造物を造った世代は、その構造物の癖を知っています。どこに継ぎ目があり、どんな施工不良の可能性があり、どこが弱いか。ところが、その世代がいま引退しつつあります。図面が残っていない橋、図面と実物が食い違う橋、そもそも誰が造ったのか記録すらない橋が、日本にも米国にも大量にあります。
——維持とは、過去の他人の意図を読み解く仕事です。その通訳者が、いなくなりつつある。ここに、私は建設業のソフトウェアを作る者として、強い危機感と、同時に一つの手がかりを感じています。人が抱えていた記憶を、システムが記憶する。「この橋のカルテ」を、担当者の頭の中ではなく、組織の資産として残す。それは巨大インフラだけの話ではなく、町の工務店が「30年前にこの家のどこをどう直したか」を残せるかどうか、という、ごく身近な話でもあるからです。
思えば、造る技術も、保つ技術も、担い手がいなくなれば消えてしまいます。前回、ローマのコンクリートの製法が失われ、その後1300年にわたってヨーロッパがコンクリートなしで建設を続けた、という話を書きました。知識は本の中ではなく、それを日々実践する人の手の中に宿る。だから、使い続けなければ失われる。いま日本の現場で起きつつあるのは、規模こそ違え、あの「忘却」と同じ種類の危うさなのだと思います。図面のない橋が増えるように、経緯の分からない現場が増えていく。それを食い止める道は、人を育てることと、記録を残すこと、その両輪しかありません。
だからこそ、前回書いた伊勢の式年遷宮の設計思想が、まったく現代的な意味を持って蘇ってきます。維持の周期を、技能継承の周期と一致させる。20年に一度の大規模修繕を、若手が学び、中堅が担い、ベテランが教える機会として、あらかじめ制度に組み込んでしまう。点検のデータをデジタルに蓄積し、橋のカルテを、人ではなくシステムに記憶させる。ジェンネの泥塗り祭りのように、維持を地域の行事として社会に埋め込む——実際、地域の住民が身近な橋を点検する市民参加の試みが、各地で始まっています。
市民参加の試みには、点検の人手を補うという実利以上の意味があると私は思います。自分たちの町の橋を、自分たちの目で見る。その経験が、維持という営みを「行政がやってくれる誰かの仕事」から「私たちの暮らしを支える、私たちの仕事」へと変えていく。前回書いたジェンネの泥塗り祭りが、単なる補修工事ではなく共同体の再生産装置になっていたように、維持を社会の中に埋め込み直すことが、長い目で見れば、人手不足への最も根本的な答えなのかもしれません。
——維持の労働問題は、技術だけでなく、文化と制度の設計でしか解けません。

ここまで、崩落の悔恨と、維持の科学と、それを担う人の不足を見てきました。三つは、別々の話ではありません。予兆を捉える技術がどれほど進んでも、それを実行する予算と人がいなければ、橋はまた静かに落ちる。技術・制度・人。この三つが揃って初めて、維持は成り立ちます。
私がこの章を書きながら何度も立ち返ったのは、笹子とモランディの、あの共通点でした。どちらも、技術がなかったから落ちたのではありません。知っていたのに、実行しなかった。つまり、最新のセンサーを買うことよりも先に、私たちが向き合わなければならないのは、もっと地味で、もっと厄介な問いなのです。危ないと分かった橋に、誰が、いつ、どう手を入れるのか。その予算をどこから出し、その人手をどう確保し、その判断の記録をどう残すのか。維持の科学の最先端は、案外、そういう当たり前の運用の積み重ねの延長線上にあるのだと思います。
冒頭で、私はこの話が他人事ではないと書きました。理由を、最後に少しだけ。私たちが日々向き合っている町場の中小建設会社は、巨大な橋を架けるわけではありません。けれど、地域の住宅や施設を「造って、そして長く保つ」という点では、伊勢の宮大工や、ジェンネの住民や、アンデスの村人たちと、同じ営みの中にいます。誰が、いつ、何を、どう直したか。その記憶を組織に残せるかどうかが、これからの30年、経営そのものの死活を分けていく。
そしてもうひとつ、崩落の事故が私たちに教えてくれたことがあります。予兆は、たいていの場合、あったということです。点検の記録にも、現場の技術者の警告にも、危険はちゃんと書かれていた。落ちたのは、知らなかったからではなく、知っていたのに手を打たなかったからでした。だとすれば、私たちがやるべきことは、そう複雑ではないのかもしれません。予兆を、きちんと記録に残す。残した記録が、担当者が代わっても消えないようにする。そして、危ないと分かったものから、順に手を入れる。当たり前のことですが、この当たり前を組織として回し続けることが、どれほど難しいかを、あの事故の数々が物語っています。
維持には、物語がありません。事故が起きなかった日は、ニュースになりません。50年間、何事もなく水が出続けたことを、私たちは讃える言葉すら持っていない。だからこそ、と私は思います。「何も起こらなかったこと」を成果として語り直すこと——それが、維持の文明論の、そしてこの仕事に携わる私たちの、最初の務めなのだと。
次回は、この続きです。全部は維持できない、という苦い算術と、それでもなお、畳むことは消すことではない、という希望の話をします。